野中兼山邸跡

野中兼山邸跡

高知県香美市土佐山田町にある江戸時代初期の土佐藩執政(家老)・野中兼山の邸跡が、野中兼山邸跡。同じ土佐山田町の山田堰築造、柏島石堤を構築するなど、積極的なインフラ整備が庶民の生活を圧迫し、怨嗟の声が高まって失脚。別宅「明夷軒」に蟄居し、3ヶ月後に吐血して死去しています。

野中兼山が晩年、蟄居、隠棲した地

野中兼山は、家督を長男に譲ったあと、山田堰築造、新田開発事業の拠点として野中兼山が起居した場所を明夷軒と名づけ、隠居、すぐに病に倒れ、49歳で没しています。
香長平野の新田開発は、土佐藩の財政と民生の向上に大きな役割を果たしましたが、土佐藩の野中兼山一族への弾圧は過酷で、遺族らは男系の後継が絶えるまで40年にも及び宿毛の地にて幽閉され、矢来に囲まれた幽閉所より一歩も外に出ることが許されませんでした。

娘の野中婉(のなかえん)は、土佐藩の女医となり、非業の死を遂げた父母や兄弟姉妹の菩提を弔うためのお婉堂(現在の野中神社)を山田上野(現・香美市土佐山田町)に建立しています。

野中兼山邸跡
名称 野中兼山邸跡/のなかけんざんていあと
所在地 高知県香美市土佐山田町中野
関連HP 香美市観光協会公式ホームページ
ドライブで 高知自動車道南国ICから約6km
問い合わせ 香美市観光協会 TEL:0887-52-8560
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
山田堰跡

山田堰跡

高知県香美市土佐山田町を流れる一級河川・物部川(ものべがわ)に築かれた堰(ダム)の跡が、山田堰跡(やまだぜきあと)。寛永13年(1636年)、土佐藩の執政(家老)となった野中兼山は、山田堰の建設などの物部川の治水を行ない、舟入、中井、上井の

柏島石堤

柏島石堤

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野中兼山一族幽閉地

野中兼山一族幽閉地

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野中兼山像

野中兼山像

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