明治4年、神仏分離が行なわれた際に熊本城内に創建された神社が加藤神社(当時は錦山神社と称していました)。熊本城内に陸軍の熊本鎮台が置かれるということで城外の新堀町(現在の在京町)に移転しましたが、昭和37年に再び城内の本丸北側に戻されています。祭神は加藤清正で勉強や賭け事に勝とう(加藤)ということから若い人にも人気。
加藤清正信仰を今に伝える熊本城内の神社
慶長16年(1611年)、遺言により中尾山上に加藤清正を祀った浄地廟を築いたのが始まり。
慶長19年(1614年)には清正が日蓮宗の熱心な信者だったこともあり、本妙寺が浄地廟の地に移転しています。
文政元年(1818年)、加藤清正の200年忌が本妙寺で行なわれ、熊本藩内に清正信仰が広がっていきます。
明治4年の神仏分離、廃仏毀釈の荒波で、仏式だった浄地廟の儀式を神式で行なうこととなり、本妙寺の拝殿と浄地廟は撤去され、錦山神社(にしきやまじんじゃ)が熊本城内(平左衛門丸)に創建(明治27年に本妙寺は大本堂と浄池廟を再建)。
西南戦争の激戦地となりますが、政府軍が辛くも勝利したことも、加藤清正の加護だったと信じられるようになりました。
富国強兵政策の中で、武運長久の軍神としての清正像が強まり、西南戦争にも参加した乃木希典などの尊崇を受け、日清戦争・日露戦争の戦勝祈願も行なわれています。
明治42年3月11日には、明治政府が加藤清正に従三位を追贈。
錦山神社から加藤神社に改称しています。
この軍神化の過程では、本来の清正信仰の担い手であったハンセン氏病患者への迫害という事件も生まれています。
昭和37年には熊本城の天守を間近に眺める現在の社地に遷座しています。
毎年7月第4日曜には『清正公まつり』(せいしょこまつり)が催され、神幸行列が行なわれています。
加藤神社 | |
名称 | 加藤神社/かとうじんじゃ |
所在地 | 熊本県熊本市中央区本丸2-1 |
関連HP | 加藤神社公式ホームページ |
電車・バスで | JR熊本駅から熊本市電健軍町行きで10分、熊本城前下車、徒歩10分 |
ドライブで | 九州自動車道益城熊本空港ICから約9km |
駐車場 | 熊本城二の丸駐車場(160台/有料)、神社境内にも駐車可能 |
問い合わせ | 加藤神社 TEL:096-352-7316 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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