熊本県熊本市、雲巌禅寺(うんがんぜんじ)の境内、奥の院にある洞窟・霊岩洞( れいがんどう )は、寺よりも歴史が古く、その昔、中国から四面馬頭観世音像を運んだとき、舟が転覆し観音像が漂着、この霊巌洞に安置されたと伝えられています。宮本武蔵が霊厳洞に籠もり、兵法書『五輪書』を著したとも伝えられています。
宮本武蔵が『五輪書』を記したと伝わる洞窟
霊厳洞に安置した岩戸観音と呼ばれるその観音像(四面馬頭観世音像)は秘仏で、平安時代、女流歌人桧垣嫗(ひがきのおうな)は観音像に水を供えるため、近くの庵に住み、白川の水を汲んで日参したと伝えられています(これが謡曲『檜垣』の物語です)。
檜垣は、京や太宰府に暮らしていましたが、藤原純友の乱の後、肥後(現在の蓮台寺あたり)に庵を構えたと伝えられています。
小倉藩から熊本藩に転封となった細川忠利(ほそかわただとし)は、宮本武蔵を客分として迎え、細川忠利の死後、寛永20年(1643年)から死の直前の正保2年(1645年)、霊岩洞にこもり、二天一流の兵法書『五輪書』を著したと伝えられています。
自筆本が現存せず、武蔵生存の時代ではないであろう記述も多いことから、武蔵の死後の作という説もあり、霊厳洞で記したという客観的な物証、傍証はありません。
古くは修験の地であったろう霊厳洞の地質は、凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん/先阿蘇火山岩類=阿蘇火砕流が噴出する以前から活動していた古金峰火山岩)と溶岩との境界部に空いた洞窟です。
霊厳洞 | |
名称 | 霊厳洞/れいがんどう |
所在地 | 熊本県熊本市西区松尾町平山589 |
関連HP | 熊本市公式ホームページ |
電車・バスで | JR熊本駅からタクシーで30分 |
ドライブで | 九州自動車道熊本ICから約21km |
駐車場 | 雲巌禅寺駐車場(40台/無料) |
問い合わせ | 雲厳禅寺 TEL:096-329-8854/FAX:096-329-8960 |
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