静岡県の富士川、山形県の最上川とともに日本三大急流に数えられる、熊本県の球磨川を手漕ぎの船で下る川下りコース。清流コースは熊本県人吉市下新町の人吉発船場から人吉市温泉町の温泉町着船場まで下るもの。清流とはいうものの、途中の符口の瀬では、それなりにしぶきを上げてスリルが味わえます。
大正2年に始まった歴史ある川下り
熟練船頭のガイドで、比較的穏やかな区間を50分ほどかけて楽しむのが「球磨川くだり・清流コース」。
下船後は無料シャトルバスで乗船場に戻る仕組み。
12月〜2月は、「こたつ船」で運航。
寛文4年(1664年)の人吉藩(相良藩)の御用商人・林正盛(はやしまさもり)が私財を投げ売って3年がかりの難工事で球磨川開削は成し遂げられています。
その後、水運用の川舟も開発され、人吉藩(相良藩)は肥後・加藤藩から球磨川河口の八代湊に舟屋を借り、木材、米、炭、球磨焼酎などを大坂(現・大阪)方面へ輸送しています。
寛文8年(1668年)からは、人吉藩主の参勤交代の交通手段としても球磨川下り船を活用。
西南戦争では、西郷隆盛が武器弾薬を積んだ船で球磨川を下っています。
明治末まで、人吉~八代間の重要な航路として活躍したのです。
明治41年の鉄道の開通で、一時、その存在価値を失いましたが、その風光明媚な景観から明治43年に温泉を掘削した温泉旅館「翠嵐楼」の創業者・川野廉(かわのきよし)氏が観光用として復活させています(川野氏の遺稿集には大正2年7月15日と記述)。
人吉温泉の祖、旅館「翠嵐楼」主人・川野廉のアイデアでしたたが、4回もこの川下りを楽しんでいる徳富蘇峰をはじめ田山花袋、与謝野鉄幹・晶子夫妻など多くの文人が足跡を残しています。
なお、木材の筏(いかだ)による搬出は、球磨川にダムができる昭和30代まで存続していました。
名称 | 球磨川くだり・清流コース/くまがわくだり・せいりゅうこーす |
所在地 | 熊本県人吉市下新町333-1 |
関連HP | 球磨川くだり公式ホームページ |
電車・バスで | JR人吉駅から徒歩20分 |
ドライブで | 九州自動車道人吉ICから約2.5km |
駐車場 | 30台/無料 |
問い合わせ | TEL:0966-22-5555 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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