熊本県天草市河浦町にあるミュージアムが天草コレジヨ館。16世紀末、宣教師の養成を目的に「天草コレジヨ」(天草学林)が開校。付属の印刷所で印刷された書物のレプリカ(「平家物語」「伊曾保物語」の現物は大英博物館に保存)、復元したグーテンベルク式印刷機などを展示しています。
復元したグーテンベルク式印刷機は必見
「天草コレジヨ」(天草学林)の「コレジヨ」は、ポルトガル語でカレッジを意味する言葉。
各地のセミナリオ(神学校)やノビシャアド(修練校)で学んだ者の中から選抜された青年たちは「天草コレジヨ」に集結。
天正15年6月19日(1587年7月24日)、豊臣秀吉が筑前箱崎で発したバテレン追放令により天草に集結していた優秀な宣教師たちから、ラテン語、神学、最新のヨーロッパの文化などを学んでいました。
「天草コレジヨ」付属の印刷所では、「天草本」と呼ばれる金属活字を使ってグーテンベルク式印刷機(活版印刷)で、書物が印刷されていました。
「平家物語」、「伊曾保物語」(イソップ物語)、「羅葡日辞典」(ラポニチ辞典=ラテン語・ポルトガル語・日本語の対訳辞書)などが現存しています。
館内では、天正少年使節団が持ち帰ったグーテンベルク印刷機(複製、オリジナルは宣教師の国外追放とともにマカオへ送付)、日本初の活版印刷による天草本、南蛮船模型、西洋古楽器の複製などを展示し、天草キリシタン文化を知ることができます。
広域合併で誕生した天草市には、旧本渡市の「天草キリシタン館」のほか、旧天草町に「天草ロザリオ館」、旧河浦町に「天草コレジヨ館」があります。
「天草コレジヨ」はどこにあった!?
天草地方を治めていた豪族・天草氏が誘致したという、キリシタンの最高学府「天草コレジヨ」(天草学林)。
どこにあったのかは、謎のまま。
かつて旧本渡市(本渡城下にあったという説)と旧河浦町(河内浦にあったという説)が激しい論争を展開し、昭和60年に本渡町の溜池から十字架が刻まれた石碑が見つかりましたが、今も決着していません。
それだけ島原・天草一揆(島原の乱)後の施設破却が徹底していたということに。
「天草コレジヨ館」は、論争のさなかに平成2年に旧河浦町が建設したミュージアムで、広域合併後の天草市は「天草コレジオはここ、という公式見解は持っていない」との立場になっています。
天草コレジヨ館 | |
名称 | 天草コレジヨ館/あまくさこれじよかん |
所在地 | 熊本県天草市河浦町白木河内175-13 |
関連HP | 天草コレジヨ館公式ホームページ |
ドライブで | 富岡港から約38km。鬼池港から約38km。本渡港から約27km。九州自動車道松橋ICから約95km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 天草コレジヨ館 TEL:0969-76-0388/FAX:0969-76-0080 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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