大徳寺

京都屈指の規模を誇る禅寺、臨済宗大徳寺派の大本山が大徳寺。正和4年(1315年)に大燈国師宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃しますが、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が堺の豪商らの協力で復興しています。本能寺の変後、織田信長の葬儀が行なわれたのもこの大徳寺です。

数々の塔頭を有する臨済宗大徳寺派の大本山

大徳寺
周囲には20もの塔頭寺院が並んでいます

羽柴秀吉(豊臣秀吉)の帰依もあり、秀吉は天正10年(1582年)、本能寺で明智光秀に討たれた織田信長の葬儀を大徳寺で営み、信長の菩提を弔うために総見院(春秋などに特別公開)を建立しています。
織田信長が父・信秀の追善供養のため建立の黄梅院(おうばいいん)、 豊臣秀吉と豊臣秀保が豊臣秀長の冥福を弔うために建立の大光院、大友宗麟(おおともそうりん)が建立の瑞峯院(ずいほういん)、黒田長政が父・黒田如水(黒田官兵衛)の三回忌に建立の龍光院(りょうこういん)、石田三成・浅野幸長・森忠政が建立の三玄院など諸大名らの寄進により多くの塔頭寺院が建立されています。

壮大な七堂伽藍が現存し、勅使門から三門、仏殿、法堂(いずれも国の重要文化財)、方丈(国宝)と南北に伽藍が連なっています。
方丈前に移築された唐門(国宝)は、秀吉が京に築いた聚楽第(じゅらくだい)の遺構と伝えられる優美な桃山建築。
本願寺と豊国神社の唐門とともに「桃山の三唐門」に数えられています。

三門は豊臣秀吉に仕えていた千利休が、2階部分を改築し金毛閣と称し自分の木像を置いたこと(門をくぐる者は利休の下を通る)で秀吉の怒りに触れ自刃に繋がったとされるいわくつきの門。

本坊の方丈庭園は江戸時代初期を代表する枯山水で、国の特別名勝・史跡。

狩野探幽(かのうたんゆう)の襖絵がある方丈、方丈庭園などが秋の虫干しを兼ねた「曝凉展」(例年10月第2日曜)で公開されています。

現在、一般に公開されている塔頭は枯山水庭園の美しい大仙院、白砂の独座庭の瑞峰院、4つの名園が残る龍源院、千利休邸を移築し、細川忠興やガラシャなどの墓がある高桐院の4院で、他はすべて非公開となっています。
三玄院(通常は非公開)には古田織部や石田三成の墓があります。
真珠庵(通常は非公開)は、大徳寺を復興した一休宗純を開祖として創建した塔頭。
芳春院(ほうしゅんいん/通常は非公開)はNHK大河ドラマ『利家とまつ』で知られる加賀百万石の祖・前田利家の夫人・松子(まつ、芳春院)が建立した前田家の菩提寺。まつ、利長、利常の前田家霊屋があります。
興臨院(通常は非公開)は、前田利家が改修し、やはり前田家の菩提寺となっています。
聚光院(通常は非公開)は、三好長慶の菩提のために嫡子・三好義継が建立した寺で、千利休の墓塔があります。
船岡山にあった鎌倉時代の供養塔を生前に利休が愛し、それを墓に転用したもの。

大徳寺・黄梅院
織田信長が建立した黄梅院
大徳寺・興臨院
前田利家ゆかりの興臨院
大徳寺・高桐院
肥後細川氏の菩提寺高桐院

大徳寺 3つのチェックポイント

京都屈指の禅宗寺院で七堂伽藍が現存
一休さん(一休宗純)ゆかりの名刹
塔頭には庭園が美しい寺院が多く、塔頭巡りもぜひ

大徳寺
名称 大徳寺/だいとくじ
Daitokuji Temple
所在地 京都府京都市北区紫野大徳寺町53
電車・バスで JR京都駅から市バスで40分、大徳寺前下車、徒歩2分で南門。またはJR京都駅から市バスで32分、北大路堀川下車、徒歩8分で南門
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約11km
駐車場 大徳寺駐車場(25台/有料)
問い合わせ 大徳寺 TEL:075-491-0019/FAX:075-491-0016
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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