蛸薬師堂 永福寺

蛸薬師堂 永福寺

京都府京都市中京区、京都の繁華街、新京極通に面して建つ小さなお堂が、通称「蛸薬師」として有名な蛸薬師堂永福寺。養和元年(1181年)創建の深草浄土宗の寺で、元は二条室町にありましたが、豊臣秀吉の京の都市改造(天正の地割)で現在地に移転しています。

病気平癒、癌封じのお守りも授与

寺伝によれば養和元年(1181年)、林秀が、比叡山延暦寺根本中堂に毎月参詣、年老いたある日、「年来の月参りも出来なくなります。どうか薬師如来様のお姿を一体お与え下さい」と本尊・薬師如来に願ったところ、最澄(伝教大師)自刻の薬師如来を授与されたので、尊像を安置する六間四面の堂を二条室町(現在の中京区蛸薬師町)に創建、永福寺と名付けられたのが始まり。
蛸薬師という通称は、鎌倉時代に僧・善光が、病気の母親に好物のタコを買う孝行譚に由来。

嘉吉元年(1441年)には後花園天皇の勅願寺になっています。

毎月8日が薬師如来の縁日で、1月8日は初薬師、12月8日が終薬師(しまいやくし)となり、4月8日が春大祭、10月8日が秋大祭となっています。
病気平癒や厄難消除に霊験のある蛸薬師如来は、俗に日本三薬師にも数えられ、縁日である毎月8日10:00〜14:00の『大般若会』は、病気平癒、そして癌封じで有名。
病気平癒、癌封じ、ぼけ封じなどのお守りも授与。

京の都では平安時代から薬師詣りが盛んで、江戸時代には「薬師十二所参り」が定着。
そんな歴史を誇る京都十二薬師霊場会の12番札所ともなっています。

豊臣秀吉の都市計画で生まれた寺町

蛸薬師堂 永福寺一帯には、南北に寺が建ち並ぶ寺町を形成していますが、これは豊臣秀吉が天正18年(1590年)に行なった天正の地割(てんしょうのじわり)で、市街地の東端、北端に寺を集め(市街地東側に「寺町」を、北側には「寺之内」を形成)、防御の拠点としたため。

天正15年(1587年)、関白となった豊臣秀吉は、政庁兼邸宅として平安京大内裏跡に聚楽第(じゅらくだい)を築き、さらに京都市街を「お土居」で取り囲み、治水対策を施しながら近世的な都市空間へと再編しています。
そしてその直後に、郡山城内で弟の豊臣秀長が病死し、千利休は秀吉の逆鱗に触れ、切腹しています。

蛸薬師堂 永福寺
名称 蛸薬師堂 永福寺/たこやくしどう えいふくじ
所在地 京都府京都市中京区新京極蛸薬師東側町503
関連HP 蛸薬師堂 永福寺公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄東西線京都市役所前駅、または、阪急河原町駅、京阪三条駅から徒歩10分
駐車場 市営御池地下駐車場(1000台/有料)などを利用
問い合わせ 蛸薬師堂 永福寺 TEL:075-255-3305
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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