安寿姫塚

安寿姫塚

日本の童話『安寿と厨子王』は、中世に成立した説経節『さんせう太夫』が原作。森鴎外の代表作『山椒大夫』(さんしょうだゆう)で有名になりましたが、物語は丹後国(国府は現在の京都府宮津市)が舞台。京都府舞鶴市の建部山の山麓には安寿姫の墓と伝わる安寿姫塚があります。

『安寿と厨子王』安寿の墓と伝承

安寿姫塚

平安時代末期、岩城の判官正氏は、讒言(ざんげん)で筑紫国(現在の福岡県)へ左遷されます。
御台所(妻)と、その子・安寿とつし王(厨子王)は、帝から安堵の令旨を賜るべく都へと向かう途中、越後国で人買いに騙され、離ればなれに。
妻は佐渡へ、そして幼いふたりの子は丹後国へと売られたのです。

丹後由良湊の荘園領主・山椒大夫(三庄太夫/さんしょうだゆう)に売られ、奴隷として使役されます。
姉の安寿は弟を国分寺に逃し、山椒太夫の息子・三郎によって凄惨な拷問を受けた末に殺されてしまう。
つし王(厨子王)は神仏の加護により救われて出世し、山椒太夫父子に復讐を果たすというもの。

地元に伝わる伝承では、安寿姫は、佐渡にいるだろう母を求めて、中山(現在の舞鶴市加佐地区)から下東へ出る峠道で、疲労と空腹に堪え切れず最期を遂げ、安寿姫塚に葬られたということに。

歴史的には安寿姫も厨子王も記録にはなく、説経節『さんせう太夫』も神仏のありがたみを説いた創作話(森鴎外の小説では親子の感動的な再会が描かれていますが、『さんせう太夫』では厨子王の復讐の話と、お守りの地蔵菩薩で母の目が開くという勧善懲悪の話となっています)。

三庄太夫は、三庄(由良の庄、神崎の庄、大川の庄)を有していた名前ともいわれ、宮津市には三庄太夫屋敷跡の碑も立っています。

名称 安寿姫塚/あんじゅひめづか
所在地 京都府舞鶴市下東
電車・バスで 京都丹後鉄道東雲駅から徒歩30分。または、JR・京都丹後鉄道西舞鶴駅からタクシーで20分
ドライブで 舞鶴若狭自動車道舞鶴西ICから約12km
問い合わせ 舞鶴観光協会 TEL:0773-75-8600
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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