伏見の御香水

伏見の御香水

京都府京都市伏見区、平安時代編纂の『延喜式神名帳』に記載の古社(式内社)、御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)の境内に湧く名水が伏見の御香水(ふしみのごこうすい)。現代版伏見名水巡りの「伏見七名水の筆頭で、環境省の名水百選にも選定されています。

現在も汲んでいく人が多数

社殿を修造した貞観4年(862年)、境内より香りの良い水が湧き出し、飲用すると病が治ったので、清和天皇から「御香宮」の名を賜ったと伝えられています。

また、諸国を回る猿曳が息も絶え絶えに御香宮神社に辿り着き、肩に乗っていた猿がこの水を飲ませると忽ち元気になったという逸話も。

伏見に城が築かれていた時代には、御香宮神の南側が大手筋にあたり、現在も西に大手筋商店街がありますが、市街化が進んだ明治時代に水枯れを起こしましたが、井戸を掘下げ昭和57年に復元に成功。
現在も伏流水がこんこんを湧き出しています。

この伏流水は、伏見の酒の仕込み水と同じ水脈で、今も飲用が可能で、飲用、茶道などを目的に水を汲んでいく人が数多くいます。

徳川御三家産湯の水

徳川家康の十男・徳川頼宣(とくがわよりのぶ=紀州徳川家の祖)は、慶長7年3月7日(1602年4月28日)、伏見城で生誕。
十一男・徳川頼房(とくがわよりふさ=水戸徳川家の祖)、慶長8年8月10日(1603年)、やはり伏見城で生誕、さらに九男・徳川義直(とくがわよしなお=尾張徳川家の始祖)も慶長5年11月28日(1601年1月2日)、伏見城で生まれた可能性があり(大坂城西の丸生誕とも)、この3人は御香水(あるいは同じ水脈の水)を産湯に使った可能性が大なので、尾張徳川家・紀州徳川家・水戸徳川家の徳川御三家を生んだ産湯の水ともいえるのです(伏見城を築いた豊臣秀吉は、城内に金名水、銀名水という名井を掘り当てたとも伝わります)。

伏見の地名の由来は伏水(ふしみ)に由来するほど、伏流水に恵まれた地(桃山丘陵の伏流水と、深部では鴨川、桂川からの伏流水という2層構造)。
水質は、カリウム、カルシウムなどをバランスよく含んだ中硬水で、酒造りに最適の条件を満たしているのです。
往時には、岩井・白菊井・春日井・常盤井 ・苔清水・竹中清水・田中清水が伏見七井と呼ばれ、新しく御香宮・伏見の御香水、長建寺・閼迦水(あかすい)、月桂冠大倉記念館・さかみづ、鳥せい本店・白菊水、京料理清和荘・清和水、 藤森神社・不二の水、城南宮・菊水若水が伏見七名水と称されています。

伏見の御香水
名称 伏見の御香水/ふしみのごこうすい
所在地 京都府京都市伏見区御香宮門前町174
関連HP 御香宮神社公式ホームページ
電車・バスで 近鉄桃山御陵前駅から徒歩3分、京阪本線伏見桃山駅から徒歩5分、JR奈良線桃山駅から徒歩5分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約4km
駐車場 御香宮神社駐車場(100台/有料)
問い合わせ 御香宮神社 TEL:075-611-0559
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
御香宮神社

御香宮神社

京都市伏見区にある伏見の産土神(うぶすながみ)が御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)。平安時代、境内から病気に効く香水が湧いていたので、清和天皇からその名を贈られた古社で、境内に今も湧き出す名水は、伏見七名水のひとつ「伏見の御香水」。環境省の

 

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