元稲荷古墳

元稲荷古墳

京都府向日市(むこうし)、桂川右岸の向日丘陵の最南端に築かれた墳丘長94mの前方後方墳が、元稲荷古墳(もといなりこふん)。向日丘陵古墳群の1基で、乙訓古墳群(おとくにこふんぐん)として国の史跡になっています。古墳名はかつて後方部墳頂に向日神社の稲荷社が鎮座したことに由来しています。

日本最古の前方後方墳

元稲荷古墳

向日神社北側の勝山公園内にある、古墳時代前期初頭(3世紀末)の前方後方墳。
後方部は3段築成、前方部が2段築成で、墳丘全体には葺石が施されています。
主体部の埋葬施設は後方部中央の竪穴式石室です。
石室の内部には割竹形木棺が納められていたほか、刀剣、槍、鏃、斧、鑿、刀子、鋤、鍬先などの副葬品が出土しています。
前方部からは、弥生時代後期の儀礼用土器に起源を有する特殊器台形埴輪も出土し、古墳出現期の古墳であることを物語っています。

古墳時代前期の乙訓地域の首長墓で、築造順では、五塚原古墳(墳丘長91m/箸墓古墳と相似形)→元稲荷古墳(墳丘長94m)→寺戸大塚古墳(墳丘長98m)→妙見山古墳(墳丘長116m)→伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后陵)と続きます。

ひとつの地域で首長の古墳が継続して築造された事例は日本列島において稀で、畿内中枢部(ヤマト王権)の大王墓の動向と連動し、当時の政治的な動向の縮図にもなっています。
五塚原古墳(前方後円墳)の後継者となる首長墓ですが、前方後方形を採用する点では、ヤマト王権に対して独自性を示した首長とも推測できます。

古墳時代前期初頭(3世紀末)の古墳では、西求女塚古墳(兵庫県神戸市)と類似性があることから、同一のモデルプランで築造されたことがわかります。
西求女塚古墳の被葬者とともにヤマト王権の大王(「倭国王」)を支える首長だったと推測できます。

元稲荷古墳
名称 元稲荷古墳/もといなりこふん
所在地 京都府向日市向日町北山
関連HP 向日市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 阪急西向日駅から徒歩10分
ドライブで 京都縦貫自動車道大原野ICから約5km
問い合わせ 向日市教育委員会 TEL:075-931-9901
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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