久津川車塚古墳

久津川車塚古墳

京都府城陽市にある久津川古墳群を構成する前方後円墳が、久津川車塚古墳(くつかわくるまづかこふん)。墳丘長180mは、京丹後市の網野銚子山古墳(198m)、神明山古墳(190m)に次いで京都府第3位の巨大古墳で、国の史跡。出土した銅鏡、長持形石棺は国の重要文化財に指定されています。

ヤマト王権で山城地方支配を担った大首長の墓

久津川車塚古墳
出土した三角縁四神四獣鏡(国の重要文化財)

山城地域で最大の古墳が、久津川車塚古墳で、5世紀前半(古墳時代中期前半)の築造。
久津川古墳群は、古墳時代の前期から後期にかけて100基以上の古墳が築造され、久津川車塚古墳が築かれた古墳時代中期に最盛期を迎えています。
周濠を含めた全長は272mもありますが、残念ながら古墳の中央部をJR奈良線が通り、墳丘が分断されています。

埋葬施設としては、明治27年、後円部中央で奈良鉄道線(現・JR奈良線)敷設時に発見された長持形石棺(竜山石製)1基があり、国の重要文化財に指定され、京都大学総合博物館に収蔵されています。
石棺の出土の際には、銅鏡など多数の副葬品も出土し、画文帯神獣鏡1面、三角縁神獣鏡1面、変形画文帯神獣鏡1面、変形四獣鏡4面が国の重要文化財に指定(泉屋博古館収蔵)。

長持形石棺や豊富な副葬品は、河内平野に築かれた大王墓に共通することから、被葬者はヤマト王権の地域支配の一翼を担っていた大首長だと推測できます。

久津川車塚古墳の西にあった寺山古墳も、ほぼ同規模の巨大な前方後円墳でしたが、削平されてその形状をとどめていません。

また古墳の南側には平川廃寺跡、東側には大首長の権力を支えた有力者の墓だと推測される丸塚古墳(帆立貝形前方後円墳)、北側には後継の大首長の墳墓となる芭蕉塚古墳(墳丘長114m)があります。

久津川車塚古墳
名称 久津川車塚古墳/くつかわくるまづかこふん
所在地 京都府城陽市平川車塚
関連HP 城陽市公式ホームページ
電車・バスで 近鉄久津川駅から徒歩7分
駐車場 なし
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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