牛若丸産湯井・牛若丸胞衣塚

牛若丸産湯井・牛若丸胞衣塚

京都府京都市北区紫竹牛若町、源義経(みなもとのよしつね)の生誕地と伝えられ、牛若丸(義経の幼名)の胞衣(えな)を埋めたと伝える塚が、牛若丸胞衣塚。あくまで伝承の域を脱しない話ですが、隣接して牛若丸産湯井も残り、江戸時代には胞衣塚とともに弁才天として信仰されていました。

源義経誕生の地という伝説が残る地

牛若丸産湯井・牛若丸胞衣塚

義経の父・源義朝(みなもとのよしとも)は、熱田大宮司(熱田神宮の大宮司)・藤原季範(ふじわらのすえのり)の娘・由良御前と婚姻し、熱田神宮の後ろ楯を得て、宮廷に接近、左馬寮御監(さめめりょうごげん=諸国の官営牧場を管理する役職)に叙任されています。

そのため、京にの別業(なりどころ=別荘)を所有していましたが、その場所が紫竹牛若町だという伝承があるのです。
江戸時代には、牛若丸産湯大弁財天女社(うしわかまるうぶゆだいべんざいてんにょしゃ)があったことが『上野新兵衛家文書』などにも記載(拝所の図/年代不詳)されています。

源義朝の嫡男である源頼朝は、尾張国愛知郡熱田(現・愛知県名古屋市熱田区)の神宮大宮司・藤原季範の別邸(現・誓願寺)で生誕し、龍泉寺・亀井水(名古屋市瑞穂区)が産湯の井戸とされていますが、九男・義経の母は、近衛天皇の中宮・九条院(藤原呈子)の雑仕女(ぞうしめ=召使い)だったと伝わる常盤御前(ときわごぜん)。
これも『平治物語』(へいじものがたり)の記載で、成人するまでの義経の経歴は、史書などになく、後世の南北朝時代から室町時代初期に成立した『義経記』(ぎけいき)などによるものが主体なため、鞍馬寺での修行を含め、かなりの部分が創作だと推測されます。

武蔵坊弁慶に関しては、実在すらも疑わしいので、義経生誕の地も残念ながら伝承という域を出ません。

牛若丸産湯井・牛若丸胞衣塚
名称 牛若丸産湯井・牛若丸胞衣塚/うしわかまるうぶゆのい・うしわかまるえなづか
所在地 京都府京都市北区紫竹牛若町56
関連HP 京都市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 京都地下鉄北山駅、北大路駅から徒歩30分
駐車場 なし
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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