誓願寺

誓願寺

亨禄2年(1529年)、日秀善光上人(妙光尼日秀)が熱田神宮近くに創建した浄土宗の尼寺が誓願寺。山門に葵御紋が付いているのは、日秀善光上人が竹千代(徳川家康の幼名)の教育係をしていたため。平安時代の末には熱田大宮司藤原家の別邸(下屋敷)のあった地で、源頼朝生誕の地とも伝えられます。

熱田大宮司藤原氏の別邸跡で頼朝生誕の地

大宮司家の親族は京で皇族に仕えていましたが、藤原季範(ふじわらのすえのり=母の実家が大宮司家で季範代から大宮司を継ぐ)の娘・由良御前は源義朝の正室となり、久安3年(1147年)に実家である熱田の下屋敷に戻って頼朝を産んだと伝承されています。

「頼朝公産湯池」の石碑が立ち、境内には産湯の井戸も残されています。
ただし、龍泉寺(名古屋市瑞穂区)の門前に産湯の井と伝えられている「亀井水」があり、生誕の地に関しては定かでありませんが、由良御前、熱田神宮との関わりは確実です。

由良御前の2人の兄は後白河法皇警護の北面の武士だったので保元の乱で源義朝が平清盛とともに後白河天皇側に付いたのも納得がいきます。
また、平家が政権を掌握した平治の乱で、源頼朝が伊豆配流ですんだのも、頼朝の母方の親族である熱田神宮(熱田大宮司家)の後ろ盾があったからと推測できます。

源頼朝生誕の地に寺を創建した日秀善光尼は、永禄13年(1570年)に上人号を勅賜され熱田上人と呼ばれ、信州善光寺の大本願寺上人、伊勢慶光院の伊勢上人とともに「天下の三尼上人」の一人に数えられています。

秀吉がほぼ天下を掌握し、小田原攻めをした天正18年(1590年)には尾張・中村(現・名古屋市中村区)の出である豊臣秀吉の母・大政所が参詣。
慶長5年(1600年)、火災のため堂宇を焼失しましたが、豊臣秀頼の命により、再建されています。
江戸時代には尾張徳川家に尊崇されました。

誓願寺から国道19号(伏見通り)を南へ400mほどいった熱田神宮南交差点は、国道1号と国道19号(名古屋市〜恵那市〜長野市/美濃街道)、国道247号(名古屋市〜知多市〜豊橋市/知多街道)の分岐点(交差点には「長野まで270km、岐阜まで37km」を示す標識もある)。名古屋城築城以前の街道は熱田を中心にしていたことがわかります。

『尾張名所図会』に見る 誓願寺

誓願寺

本堂の裏手に産湯の池と、頼朝祠が描かれています。
手前側が熱田神宮です。

誓願寺 DATA

名称 誓願寺/せいがんじ
Seigannji Temple
所在地 愛知県名古屋市熱田区白鳥2-10-12
電車・バスで 地下鉄名城線神宮西駅から徒歩3分。または、JR熱田駅から徒歩7分
ドライブで 名古屋高速3号堀田出口から約2km
駐車場 2台(境内利用)
問い合わせ TEL:052-681-0553
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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