七条大橋

七条大橋

京都府京都市東山区下堀詰町と下京区稲荷町の間を流れる鴨川に架かるレトロな橋が、七条大橋(しちじょうおおはし)。七条通・京都府道113号(梅津東山七条線)の橋で、鴨川に架橋された橋としては現存する最古の橋。大正2年4月14日の開通で、国の登録有形文化財に指定されています。

鴨川で明治期の意匠を残す唯一の橋

橋長81.9m、幅員18.1m、鉄筋コンクリート造りの5連アーチ橋で、土木学会選奨土木遺産にも認定されています。
設計は、東京大学教授で、鉄筋コンクリートのパイオニアでもある柴田畦作(しばたけいさく)。
デザイン様式は、「セセション式欧風意匠」(セセション=19世紀末のドイツ語圏における芸術革新運動)とされています。

第2代京都市長・西郷菊次郎が推進した明治末期の京都市三大事業(道路拡築および京都市電敷設の一環)で鴨川にかけられた三橋(丸太町橋、四条大橋、七条大橋)で唯一現存するもので、京都市電七条線(東山七条〜西大路七条/昭和53年10月1日全廃)が通り、鴨川の両岸に七条大橋電停、七条河原町電停がありました。
しかも、七条大橋では京阪電車との平面交差があり、鉄道ファンが集まっていました(当時は京阪電車の七條駅が地上駅として存在、昭和62年に地下駅の現・七条駅に)。

丸太町橋、四条大橋、七条大橋はいずれも大正2年の完成で、架橋に伴い、中州の除去や護岸の整備が行なわれ、夏の風物詩である川床の確保のため、鴨川右岸(西側)を流れるみそそぎ川の原形も大正6年頃に築かれています(中州が消滅するまでは中洲などに納涼床が設置されていました)。

昭和10年6月の鴨川大洪水で、鴨川の護岸は大破し、 三条大橋、五条大橋など主要橋の多くが流失しましたが、七条大橋は流出することなく、存続。
戦時中の金属供出で、高欄に配されていた鋳鉄製の手摺(てすり)や照明灯が失われましたが、昭和62年に「三十三間堂の通し矢」をイメージした矢車模様が施された高欄が設置され、往時の雰囲気を取り戻しています。

七条大橋
七条大橋
名称 七条大橋/しちじょうおおはし
所在地 京都府京都市東山区下堀詰町・日吉町〜下京区稲荷町
電車・バスで 京阪電気鉄道七条駅からすぐ
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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