清水寺・子安塔

清水寺・子安塔

京都府京都市東山区、世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産・清水寺で、洛陽三十三所観音巡礼・第14番札所が、子安塔(こやすのとう)。安産の神として信仰される子安観音(千手観音)が本尊で、現存する子安塔は1500年(明応9年)の再建、塔高15mの三重塔で、国の重要文化財に指定されています。

源義朝の側室・常盤御前も信仰したと伝えられる塔

清水寺・子安塔
かつては仁王門ちかくに建っていました

明治44年に現在の高台に移されるまでは仁王門近く(仁王門前の広場に子安塔跡の石碑が)にあり、子安塔の名の通り、子安観音(千手観音)が安置され、安産の神として信仰を集めていました。
正式には塔頭(たっちゅう)・泰産寺(たいさんじ)の塔で、江戸時代初期に編纂された山城国(現京都府南部)に関する地誌『雍州府志』(ようしゅうふし)によれば、光明皇后が伊勢皇太神宮の神託によって天平2年(730年)に建立し、1寸7分の霊像を安置したとしています。
もしこの記述が事実ならば、塔の創建は、清水寺の創建より76年も古いことになります。

平安時代末期には子安信仰はすでに有名だったらしく、源義朝の側室・常盤御前(ときわごぜん)は、今若(後の阿野全成)、乙若(後の義円)、そして牛若(後の源義経)を産んでいますが、『平治物語』には、源義朝亡き後、清水寺の観音菩薩(子安塔に安置されている千手観音)の加護で、子供たちの助命が叶ったと記されています(平清盛に請われて妾になったとも記されています)。

もともと産寧坂(さんねいざか)は、子安観音へ祈願するための参道で、お産が寧か(やすらか)でありますようにという祈願のために上る坂という意から三年坂に転訛したとも伝えられます(大同3年にできたからという説も)。

現在の子安塔は本堂から少し離れた高台に建つので、錦雲渓(きんうんけい)を隔て、ちょうど正面に清水の舞台を眺める一等地になっています。
子安塔から山道(京都一周トレイル東山コース)を歩いて清閑寺に出るルートもあり、喧騒を避けての散策が可能。

清水寺・子安塔
子安塔からの本堂(清水の舞台)・三重塔方面の眺め
清水寺・子安塔
名称 清水寺・子安塔/きよみずでら・こやすのとう
所在地 京都府京都市東山区清水1-294
関連HP 清水寺公式ホームページ
電車・バスで 京阪電鉄清水五条駅から徒歩25分
ドライブで 名神高速道路京都東ICから約7km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 清水寺 TEL:075-551-1234/FAX:075-551-1287
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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