第18回キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ(キャベチュー)|嬬恋村|2023

広大なキャベツ畑が広がる群馬県嬬恋村。2023年9月3日(日)11:22〜、日本愛妻家協会や嬬恋村が主催で行なわれるのが『第18回キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ(キャベチュー)』。会場は、つまごいパノラマライン北ルート途中の「愛妻の丘」。高原に男たち100人の叫びを轟かせ、日本武尊の嬬恋伝説を蘇らせます。

見栄とテレと建前を手放して、愛妻の丘で愛を叫ぶ!

キャベツロード・愛妻の丘
浅間山麓に広大なキャベツ畑が広がっている

主催の日本愛妻家協会や嬬恋村愛妻家聖地委員会によれば、このキャベチュー、社会実験「夫婦環境倦怠感削減実験プログラム」なんだそうな。

「見栄とテレと建前を手放して、愛妻の丘で愛を叫ぶ」からこそ、この地が「愛妻家の聖地」なんだとか。
つまごいパノラマライン(キャベツロード=嬬恋村を2/3周する全長30kmの広域農道)途中にある愛妻の丘には「妻に愛を叫ぶ専用叫び台」も設置され、その叫び台の上から「見えとテレと建前を手放して」叫ぶ様子を見学できるほか、周辺には特産物販売のブースも用意。

キャベツロード・愛妻の丘
キャベツ畑の真ん中に「愛妻の丘」があります

嬬恋(妻恋)のルーツは、日本武尊にまで遡る!

ちょっとふざけた感じにも思えますが、実は嬬恋村の「つまごい」には、古代、『日本書紀』に遡るバックボーンがあるのです。
日本武尊(倭健命=やまとたけるのみこと)が東征の帰路、碓氷峠(あるいは鳥居峠とも)を越える際に、走水沖(横須賀市)で嵐を鎮めるために海に身を投げた妃・弟橘媛(おとたちばなひめ)を偲んで、吾嬬者耶(あずまはや)と三度嘆き叫んだとされています。これは、『日本書紀』、さらには群馬・長野県境・碓氷峠に鎮座する熊野皇大神社・熊野神社の社伝に残される話(『古事記』では、なぜか舞台は足柄峠になっています)。

吾嬬者耶(あずまはや)を現代風に言い換えれば、「あゝわが妻よ!」。
『日本書紀』には、正確には
「則自甲斐北、轉歷武藏・上野、西逮于碓日坂。時日本武尊、毎有顧弟橘媛之情、故登碓日嶺而東南望之三歎曰「吾嬬者耶(嬬、此云菟摩。)」故因號山東諸國、曰吾嬬國也」
と記されています。
これを現代語に訳すと、
「甲斐から北の武蔵(むさいしのくに=現在の東京都・埼玉県・神奈川県の一部)・上野(かみつけのくに=現在の群馬県)を巡って碓氷峠(嬬恋村は鳥居峠を比定)に至りました。日本武尊には毎日、弟橘媛(おとたちばなひめ)を偲ぶ心があったので、碓日嶺に登った際に、東南を眺めて、『吾嬬はや』と3回嘆いて言いました。それにより、山の東の諸国を、東の国(あずまのくに=吾嬬国)といいます」。
わざわざ嬬(つま)は菟摩(つま=妻)のことと注釈を入れていますから、『日本書紀』でもかなり力を入れた下りになっています。

嬬恋村の「嬬」という字は、実はこの吾嬬者耶の文字から来ているし、嬬恋村の属する吾妻郡(あがつまぐん=群馬県西部の郡名)は、もちろんこの「吾が妻よ」に由来しています。そこを流れる吾妻川の流域には縄文時代の遺跡が多数残っていますから、日本武尊のロマンスを秘めるこの地が古くから拓けた地であることは明白です。

キャベツロード・愛妻の丘
キャベツロードの途中にある愛妻の丘
第18回キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ(キャベチュー)|嬬恋村|2023
開催日時 2023年9月3日(日)11:22〜
場所 愛妻の丘
所在地 群馬県吾妻郡嬬恋村田代大横平
関連HP 嬬恋村公式ホームページ
ドライブで 上信越自動車道碓氷軽井沢ICから約46km。つまごいパノラマライン北ルートは冬期間(12月上旬~4月上旬)閉鎖
駐車場 10台/無料
問い合わせ 嬬恋村観光商工課 TEL:0279-96-1515
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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