国宝天守は、世界文化遺産登録の姫路城を筆頭に、松本城、犬山城、彦根城、そして松江城。松江城天守(島根県松江市)は、平成27年に国宝に加わったもの。なぜそれまで国の重要文化財だった天守が、国宝へと「格上げ」されたのでしょうか? 答えは、偶然ともいえる「新しい発見」があったからです。
「祈祷札」発見で、天守の築かれた年が明らかに
国宝に指定される建築物は、「重要文化財」に指定されていることが大前提で、「重要文化財のうち、世界文化から見ても価値が高く、たぐいない国民の宝」(文化財保護法27条より)という規定があります。
しかも、建築年代が明らかでなければなりません。
なぜなら、後世に改築されたりしている可能性があるからです。
そうした条件が揃って、文部科学省の文化審議会(文化財分科会)の答申を受けて文部科学大臣が国宝に指定するのです。
平成27年にめでたく国宝になった松江城の天守は、江戸時代初期の慶長16年(1611年)築。
国宝になった文化審議会答申の決め手は、築城年を記した「祈祷札」(きとうふだ)の再発見です。
実はこの「祈祷札」、昭和12年7月に城戸久氏が調査した際、天守4階にあったと確認されているのですが、それ以降は行方知らずとになっていたのです。
「松江城を国宝にする市民の会」(会長・藤岡大拙島根県立大短期大学部名誉教授)が12万8000人分の署名を文化庁に提出するなど国宝へという気運が盛り上がる松江市は、懸賞金500万円をかけて「祈祷札」を必死に捜索。
その努力が実って、平成24年5月21日、松江市職員らが松江神社で「祈祷札」を再発見(松江神社は懸賞金を辞退)したのです。
松江市史編纂事業の基礎調査として、松江市内寺社史料調査の一環で、松江神社所蔵の棟札などを調査していたところ、「祈祷札」を発見と、まさに偶然の出来事でした。
発見された祈祷札に記された梵字
祈祷札とは、新築の際の棟札(棟木・梁など建物内部の高所に取り付けた札)の一種で、縦長の板で頭部が平らな平頭型、長方形の板の上部の角を切り落として山形(三角形)にする尖頭型の2種あります。
松江城から見つかった2枚の「祈祷札」は、いずれも杉材の割り板を用いたもので、尖頭型の木札に梵字で祈願文が記されたもの。
新築建物を鎮める内容です。
1枚目の「奉讀誦如意珠経長栄処」祈祷札の梵字は「バク(釈迦如来)」を表し、2枚目の「奉轉讀大般若経六百部武運長久処」祈祷札の梵字は「チ(ヂ)クマン(般若心経)」あるいは「キリーク(如意輪観音、阿弥陀如来)」を表現していると推測されています。
祈祷札から何が分かるの?
松江市などによれば、2枚の祈祷札から判明したことは、慶長16年(1611年)の正月に、松江城の天守を鎮める祈祷が行なわれたこと。
つまり天守はこの日以前に完成していたことになります(これが、国宝に指定される決め手となりました)。
「奉轉讀大般若経六百部武運長久処」の札から祈祷には大山寺(天台宗)が関係していたことも明らかに。
松江城を築城した堀尾吉晴(ほりおよしはる/築城直後に没しています)は、真言宗の高野山奥の院に墓所を設け、さらに松江城の鬼門(北東)には真言宗千手院(松江市石橋町)、裏鬼門(南西)には真言宗報恩寺(松江市玉湯町)を配置していることから、真言宗の信徒とも推測され、「奉讀誦如意珠経長栄処」の札は、真言宗寺院による祈祷札とも想像できるのです。
「松江城の天守」が国宝になった理由とは!? | |
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