名張藤堂家邸

名張藤堂家邸

三重県名張市にある津藩藤堂家の屋敷が、名張藤堂家邸。織田信長の重臣・丹羽長秀の三男で、築城の名手として知られる藤堂高虎(とうどうたかとら)の養子となった藤堂高吉(とうどうたかよし)に始まるのが名張藤堂家邸。津本家から1万5000石を給され、明治維新まで11代にわたり居を構えています。

近世上級武士の生活を垣間見る

藤堂高吉は、織田信長の重臣・丹羽長秀(にわながひで)の三男として近江・佐和山城で生誕。
羽柴秀吉は、信長没後に丹羽長秀を取り込むため、弟・羽柴秀長の養子として迎えますが、後に丹羽氏の力を削ぐため羽柴秀長の甥・秀保を秀長の跡継ぎにしようとした結果、跡継ぎの生まれなかった藤堂高虎の養子となることに。
ところが、藤堂高虎にも嫡男・藤堂高次(とうどうたかつぐ)が生誕し、藤堂高虎の家臣としての道を歩むことに。
慶長13年(1608年)、藤堂家が今治城20万石から伊賀一国・伊勢2郡の津藩主となったことで、藤堂高吉は今治城の城代として今治に残りますが、松平定房の今治移封で、名張に移ったのです。

こうして藤堂高吉は、寛永13年(1636年)、名張に屋敷を構え、名張藤堂家が始まったのです。
当初の屋敷は宝永13年(1710年)の名張大火で類焼し焼失。
大火以降に再建された建物(畳数だけでも1083畳という大邸宅)も明治初期に大部分が取り壊され、「御西」と称された中奥、祝の間、茶室など私的な生活を送るほんの一部分の建物が残されています。
現存する屋敷には、桃山時代の「鉄唐冠形兜・一の谷形兜」や大坂夏の陣に使用されたという「朱具足」、羽柴秀吉・丹羽長秀の書簡、柳生但馬守宗矩の書状、さらには「豊臣秀吉朱印状」など学術的に貴重な文化財が収蔵されており、一般公開されています。

なお、初代・藤堂高吉以下、名張藤堂家歴代の墓所は、徳蓮院(名張市平尾)にあります。

名張藤堂家邸
名称 名張藤堂家邸/なばりとうどうけてい
所在地 三重県名張市丸之内54-3
関連HP 名張市公式ホームページ
電車・バスで 近鉄名張駅から徒歩5分
ドライブで 名阪国道上野ICから約16km
駐車場 5台/無料
問い合わせ 名張藤堂家邸 TEL:0595-63-0451
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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