俳聖殿

俳聖殿

俳聖殿(はいせいでん)は、昭和17年に松尾芭蕉生誕300年を記念し、現・伊賀上野城天守の建築に奔走した川崎克(かわさきかつ)が私費を投じて三重県伊賀市に建てられた施設。伊賀上野出身の俳聖・松尾芭蕉を顕彰するために建てられた建物の初層は八角、二層は丸型という八角重層塔で、伊賀上野城の城跡である上野公園内に建っています。

俳聖・松尾芭蕉の旅姿をイメージ

俳聖殿

2階の丸屋根は旅笠、1階の八角型の屋根は衲衣(のうえ=ぼろ布を縫いつづって作った衣)、それを支える柱は行脚する芭蕉の足と杖、そして「俳聖殿」の木額は顔をイメージしているのだとか。

設計は川崎克の意見をもとに島田仙之助が担当し、橿原神宮、平安神宮、明治神宮、築地本願寺、湯島聖堂などの名建築を残した建築学者・伊東忠太(いとうちゅうた)の指導で、地元棟梁の森本源吉で建築。

鉄筋コンクリート造りではなく、あえて木造建築にしたのも先見の明。
国の重要文化財に指定され、殿内には伊賀焼等身大の芭蕉座像が安置されています。

毎年10月12日の芭蕉翁の命日にはここで『芭蕉祭』が行なわれ芭蕉座像が公開されています。
ちなみに松尾芭蕉は、元禄7年(1694年)10月12日、旅の途中の大坂で51歳の生涯を閉じています。

俳聖殿
名称俳聖殿/はいせいでん
所在地三重県伊賀市上野丸之内117-4
関連HP伊賀上野観光協会公式ホームページ
電車・バスで近鉄伊賀線上野市駅から徒歩5分
ドライブで名阪国道上野東ICから約2.3km
駐車場上野公園駐車場(60台/有料)
問い合わせ伊賀上野観光協会 TEL:0595-26-7788/FAX:0595-26-7799
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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