赤木城

赤木城

三重県熊野市にある中世から近世の過渡期に築かれた平山城が赤木城(あかぎじょう)。藤堂高虎が縄張りし、築城したという曲輪群が残され、続日本100名城に選定。江戸時代初期の北山一揆で処刑された刑場跡とともに、「赤木城跡及び田平子峠刑場跡」の名称で国の史跡に指定されています。

藤堂高虎が熊野に築いた平山城は、城跡公園として整備

赤木城

天正17年(1589年)、紀伊国の平定を命じられた豊臣秀長(とよとみひでなが=豊臣秀吉の異父弟)が、熊野の要衝に、奥熊野(牟婁郡東部)の地侍の一揆を抑える目的で家臣・藤堂高虎に命じて築いた城が赤木城。

小高い山に築か荒れた中世的な城郭ですが、高い石垣(主郭では高さ4m)、防戦を意識して何度も折り曲げた複雑な構造の虎口(こぐち=曲輪の入口)など近世的な構えを見ることもできます。
里や街道から見えるように石垣が聳えるという築城の名手・藤堂高虎の縄張りは、地侍や熊野権現を信仰する山伏など、在地勢力への威圧という目的もあったと推測できます。

築城直後の天正19年1月22日(1591年2月15日)に豊臣秀長は病没したため、関ヶ原の戦いの後、新宮を領有した浅野忠吉(あさのただよし=和歌山藩主・浅野幸長、浅野長晟の重臣)が、城主となっています。
慶長19年(1614年)、大坂冬の陣の出陣の際、その間隙を縫って奥熊野の地侍が北山一揆を起こしましたが、浅野忠吉軍に鎮圧され、慶長20年(1615年)、田平子峠で処刑(処刑者363名)。

元和元年(1615年)の元和の一国一城令で廃城になっています。

主郭、北郭、東郭、西郭、南郭の曲輪(郭)から成り、平成4年〜平成16年に赤木城公園として石垣(野面乱層積み、主郭の四隅は、算木積みと横矢掛りの構法)の積み直しや遊歩道の設置が行なわれ、美しい姿が蘇っています。
駐車場から最上部の主郭までは徒歩10分ほど。

近年、朝霧に浮かぶ城跡が「天空の城」と話題になり、登城者も増加傾向に。
三重県道40号(熊野矢ノ川線)沿いに赤木城と雲海の撮影ポイントがあります。

赤木城
名称 赤木城/あかぎじょう
所在地 三重県熊野市紀和町赤木
関連HP 熊野市公式ホームページ
電車・バスで JR熊野市駅からタクシーで35分
ドライブで 紀勢自動車道熊野大泊ICから約26km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 熊野市教育委員会社会教育課 TEL:0597-89-4111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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