鹽竈神社・文治の燈籠

鹽竈神社・文治の燈籠

宮城県塩竈市、鹽竈神社(しおがまじんじゃ)境内、左右宮拝殿前にある文治の燈籠は、文治3年(1187年)に鹽竈神社を崇敬する奥州藤原三代・藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の三男、藤原忠衡(ふじわらのただひら=泉三郎忠衡)により寄進されたもので「文治三年七月十日泉三郎忠衡敬白」と刻まれています。

芭蕉も注目した奥州藤原氏ゆかりの燈籠

この灯籠を寄進した藤原忠衡は、父の遺言を守り最後まで源義経を守護したため、兄・藤原泰衡に討たれるという非業の死を遂げた武将です。

元禄2年5月9日(1689年6月25日)、芭蕉が曽良と鹽竈神社を参詣した折り、『奥の細道』に、この燈籠について「渠(かれ)は勇義忠孝の士なり。佳名今に至りてしたはずと言う事なし」と記しています。

『奥の細道』にはすでに「古き宝塔」と記されていますが、現在の燈籠は、芭蕉訪問後の元禄年間に改造されたもの。

文治3年7月といえば源義経は藤原秀衡を頼り平泉に隠棲。
その年の10月に秀衡は没して、風雲急を告げた年です。
つまり、藤原忠衡は、義経と奥州藤原家の平穏を祈願して燈籠を寄進したのです。
義経を深く思慕する芭蕉は、この燈籠に感銘を受け、平泉では「夏草や兵どもが夢の跡」の句を残しています。
表参道と呼ばれる長い石段や、燈籠は昔のままで、「宮柱ふとしく、彩椽(さいてん)きらびやかに」(『奥の細道』)と記された雰囲気が今も健在です。

名称 鹽竈神社・文治の燈籠/しおがまじんじゃ・ぶんじのとうろう
所在地 宮城県塩竈市一森山1-1
関連HP 鹽竈神社公式ホームページ
電車・バスで JR本塩釜駅から徒歩20分
ドライブで 三陸自動車道仙台港北ICから約7.2km。または、利府中ICから約3.8km。利府塩釜ICから約4.2km
駐車場 第1・第2・第3駐車場(300台/無料)
問い合わせ TEL:022-367-1611/FAX:022-365-5530
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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