仙台城本丸跡

仙台城本丸跡

仙台藩の初代藩主・伊達政宗が関ヶ原合戦直後の慶長5年(1600年)12月に縄張りを開始し、慶長7年(1602年)5月に完成した仙台城。本丸跡も建物などの遺構は失われ、本丸北壁の石垣、本丸西側の堀切や土塁に往時を偲ぶのみとなっています。本丸跡には宮城縣護國神社、仙台城見聞館、伊達政宗公騎馬像などがあります。

伊達政宗公騎馬像付近は展望台に

伊達政宗公騎馬像近くの展望スペースからは仙台市街と仙台港方面が一望でき、仙台を代表するビュースポットになっています。
南側は竜ノ口渓谷、東は広瀬川の断崖という天然の要害。
青葉山の自然地形を生かした山城である本丸の規模は、東西245m、南北267mと諸大名の城郭でも最大級です。

山麓の二ノ丸などの造営は政宗の死後、2代藩主・伊達忠宗(だてただむね)によるもの。
慶長16年(1611年)11月10日、伊達政宗に謁見したイスパニア使節、セバスティアン・ビスカイノが「城は日本の最も勝れ、最も堅固なるものの一にして」と賞賛したのは本丸だけということになります。

日没~23:00には伊達政宗公騎馬像や石垣がライトアップされるので夜景観賞にも絶好。

伊達政宗公騎馬像近くには、『荒城の月』歌碑と、土井晩翠胸像がありますが、作詞者の土井晩翠は、仙台出身で、仙台城と鶴ヶ城(会津若松市)をイメージして作詞したことから建立されたものです。

本丸御殿の大広間を礎石で表示

仙台城本丸跡

伊達政宗公騎馬像の西、仙台城見聞館の南側には伊達政宗が築いた本丸御殿・大広間の礎石が配置され、当時の部屋割が示されています。
慶長15年(1610年)に完成し、畳敷き部分だけで260畳、板敷の拭縁(ぬぐいえん)を含めると430畳あり、「千畳敷」とも称された大規模な建物でした。
発掘調査で判明した礎石を配し、歴代藩主の座する「上段の間」、「孔雀の間」、「檜の間」など多くの部屋の配置がわかる仕組みになっています(『御本丸大広間地絵図』によれば、名前の付けられた部屋は14部屋あります)。

隣接する「仙台城見聞館」には本丸大広間の中枢を飾った『鳳凰図』(狩野左京作/宮城県の有形文化財)が原寸大で復元されています。

仙台城本丸跡
仙台城本丸跡
名称 仙台城本丸跡/せんだいじょうほんまるあと
所在地 宮城県仙台市青葉区川内1
関連HP 仙台市公式ホームページ
電車・バスで JR仙台駅西口バスプールから仙台市営バス青葉城循環で20分、青葉城址下車
ドライブで 東北自動車道仙台宮城ICから約6.8km
駐車場 150台/有料
問い合わせ 仙台市教育局文化財課 TEL:022-214-8544/FAX:022-214-8399
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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仙台城・大手門跡(大手門脇櫓)

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仙台城本丸跡・『荒城の月』歌碑

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