宮城県多賀城市にある歌枕になっている景勝地が、末の松山(すえのまつやま)。歌枕とは、和歌に詠み込まれ、有名になった歌名所のこと。日本最古の勅撰和歌集である『古今和歌集』に「きみをおきて あだし心を わが持たば 末の松山 浪もこえなむ」と詠われたのが宝国寺裏山の末の松山です。
芭蕉も訪れた歌枕「末の松山」の地
『源氏物語』にも「うらなくも 思ひけるかな 契りしを 松より波は こえじ物ぞと」と記されていますが、実は、『古今和歌集』が出たのは延喜5年(905年)のこと。
貞観11年(869年)に起こった貞観の大地震(1000年に一度という東日本大震災規模の大地震と大津波)による大津波の波も越えることのなかった丘陵で、「あなたを思う心を失うことは、末の松山を波が越えるほどにあり得ないこと」という愛のメッセージなのです。
この歌枕の地を芭蕉が見逃すはずもなく、『奥の細道』途中の元禄2年5月8日(16896月24日)に多賀城碑などどともにこの地を訪れていて、多賀城市では、末の松山、壺碑(つぼの石ぶみ)と呼ばれる多賀城碑、そして興井(沖の石)の3ヶ所の歌枕の地が国の名勝「おくのほそ道の風景地」に指定されています。
末の松山は、今も推定樹齢500年弱、高さ19mの2本のクロマツの老木が聳えていますが、これは芭蕉も目にした松だと推測できます。
仙台藩4代藩主・伊達綱村(だてつなむら)は、徳川光圀(とくがわみつくに)の指摘を受け、周辺の壼碑(多賀城碑)、沖の井、おもわくの橋など歌枕の地を調査、壼碑に覆屋を築くなどして史跡として保護しています。
ちなみに東日本大震災の大津波は、貞観の大津波同様に末の松山に迫ったのですが、やはり、ここを越えることはありませんでした。
末の松山 | |
名称 | 末の松山/すえのまつやま |
所在地 | 宮城県多賀城市八幡2-8-28 |
関連HP | 多賀市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR多賀城駅から徒歩8分。または、JR国府多賀城駅から徒歩35分 |
ドライブで | 仙台東部道路仙台港北ICから約2km |
駐車場 | 1台/無料 |
問い合わせ | 多賀市観光協会 TEL:022-364-5901 |
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