紫式部&『源氏物語』ゆかりの地へ! 【滋賀編】

紫式部&『源氏物語』ゆかりの地

滋賀県大津市にある石山寺は、平安時代、宮中の女性たちの観音詣(石山詣)の地。紫式部は、石山寺で『源氏物語』の構想を練ったとされています。また琵琶湖の舟運を含め、越前下向時の道筋でもあり、父・父・藤原為時(ふじわらのためとき)に帯同して旅した際の歌なども残されています。

石山寺|紫式部が参籠し、『源氏物語』の構想を練った寺

所在地:滋賀県大津市石山寺1-1-1
内容:寛弘元年(1004年)、時の中宮・彰子の新しい読み物をという希望に応えるため、構想を練るためもあって紫式部が参籠し、 『源氏物語』を起筆したというのが石山寺
参籠した最後の夜が十五夜で、瀬田川の川面に映る月を眺め、光源氏が都を思い浮かべるシーンを想定し、「今宵は十五夜なりけり」という書き出しが生まれたとも(室町時代に記された源氏物語の古注釈書『河海抄』による)
石山寺は、京の清水寺、奈良の長谷寺と並んで三観音と称され(西国三十三所第13番札所)、宮中の女性の間で石山詣が盛んに行なわれていました
紫式部と縁がある石山寺の中でも、最も関係深いのが本堂内部の東側にある「源氏の間」ですが、残念ながら建物自体が戦国時代末期の再建のため、往時のものではありません

石山寺

石山寺

硅灰岩(けいかいせき)の岩の上に天平宝字5年(761年)に良弁(ろうべん)僧正が、聖武天皇の勅願により、開基したと伝えられる名刹が石山寺。平安時代以降は、西国三十三所第13番札所として多くの人々の尊崇を集めてきました。紫式部など中世の女流文

石山寺・本堂

石山寺・本堂

天平宝字5年(761年)に良弁(ろうべん)僧正が、聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願により、開基したと伝えられる名刹が滋賀県大津市の石山寺。本堂(正堂)は、永暦2年(1078年)に雷のために半焼し、永長元永長元年(1096年)に再建されたも

石山寺・源氏苑 紫式部像

石山寺・源氏苑 紫式部像

西国三十三所霊場のひとつで古くから観音信仰で名高い、滋賀県大津市にある石山寺は寛弘元年(1004年)、紫式部(むらさきしきぶ)が堂内に籠もり『源氏物語』須磨・明石の巻を綴った場所と伝えられます。境内の高台には源氏苑が整備され、紫式部の像も立

逢坂の関|石山詣などの際には、逢坂越を利用

所在地:滋賀県大津市逢坂
内容:京の都と近江国(滋賀県)大津とを結ぶ峠越えの道が逢坂越(おうさかごえ)で、東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路がここを通っていました
紫式部も、父・藤原為時(ふじわらのためとき)に帯同して越前国(福井県)に下向の際、そして石山詣の際にはこの逢坂越を利用していました

逢坂の関記念公園

逢坂の関記念公園

近江国(滋賀県)大津と平安京を結ぶ峠越えの道が逢坂越(おうさかごえ)。都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要衝で、多くの文人が歌にも残しています。平安京防御の拠点ともなった峠越えの道には関所が設けられて

関蝉丸神社・下社

関蝉丸神社・下社

滋賀県大津市、山城国と近江国の国境越えの古道・逢坂越(おうさかごえ)ある古社、関蝉丸神社。蝉丸神社は大津市内に3社あり、国道161号沿いに関蝉丸神社・下社(しもしゃ)、逢坂1丁目の国道1号沿いに上社(かみしゃ)、大谷町に分社の蝉丸神社があり

白鬚神社|越前国に下向する際、歌を詠んだ地

所在地:滋賀県高島市鵜川215
内容:越前国の国司となった父・藤原為時(ふじわらのためとき)に帯同して越前へと下向する際に、この地で詠んだのが、「三尾の海に 網引く民のてまもなく 立居につけて 都恋しも」です
紫式部は、父・藤原為時とともに逢坂峠を越えて大津に入り、大津で琵琶湖舟運の船に乗船し、塩津へと向かったと推測できます
途中、高島・三尾崎の浜辺で、漁をする人々の網を引く見なれぬ姿に驚き、遠く離れつつある都が恋しく思ったというわけです

白鬚神社・紫式部歌碑

白鬚神社・紫式部歌碑

滋賀県高島市鵜川、白鬚神社の総本社で、琵琶湖の湖中に立つ大鳥居が人気の白髭神社。その境内にあるのが紫式部歌碑。越前国の国司となった父・藤原為時(ふじわらのためとき)に帯同して越前へと下向する際に、この地で詠んだのが、「三尾の海に 網引く民の

塩津神社|越前に下向する際、この神社に参拝し旅の安全を祈願

所在地:滋賀県長浜市西浅井町塩津浜547
内容:北陸と大津・京を結ぶ琵琶湖舟運の要衝で、海津湊(高島市マキノ町)、大浦湊(長浜市)とともに湖北三湊のひとつ塩田湊に鎮座する古社
越前国武生へ出向く際に、大津から船に乗り塩津で下船、塩津神社に参拝し旅の安全を祈願しています
「塩津山といふ道のいと繁きを賎(しず)の男のあやしきさまどもして『なおからき道なりや』といふを聞きて『知りぬらむ往来にならす塩津山世に経る道はからきものぞと』」(『紫式部集』)
塩津神社は、現在では社前を国道8号が通っていますが、国道開通以前は、海に面して建っていました

塩津神社

塩津神社

琵琶湖の最北岸、滋賀県長浜市西浅井町にある社が塩津神社(鹽津神社)。平安時代に編纂された『延喜式神名帳』に記載の古社で、奥琵琶湖の重要な湊だった塩田湊に鎮座しています。塩田湊は北陸と大津・京を結ぶ琵琶湖舟運の要衝で、海津湊(高島市マキノ町)

塩津街道塩津浜の家並み

塩津街道塩津浜の家並み

琵琶湖の最北岸、滋賀県長浜市西浅井町にある歴史的景観が塩津街道塩津浜の家並み。古代から琵琶湖舟運の拠点として繁栄した塩津浜。琵琶湖北岸に位置する塩津湊は、大津・京と北陸を結ぶ重要な交易ルートとなっていました。塩津浜は、塩津街道の宿場町として

深坂古道(深坂地蔵堂)|紫式部も歩いた古道が現存

所在地:滋賀県長浜市西浅井町沓掛
内容:越前国(敦賀)と近江国(塩津)を結ぶ最短ルートとして古から使われた塩津街道・深坂峠越えの道が深坂古道
紫式部も歩いた古道が現存しています

深坂古道(深坂地蔵堂)

深坂古道(深坂地蔵堂)

滋賀県長浜市西浅井町、越前国(敦賀)と近江国(塩津)を結ぶ最短ルートとして古から使われた塩津街道・深坂峠越えの道が深坂古道。現在は国道8号となった塩津街道の旧道で、深坂峠の手前にある深坂地蔵堂は、当時貴重品だった北陸の塩を供えて、道中の安全

紫式部&『源氏物語』ゆかりの地へ! 【滋賀編】
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
紫式部&『源氏物語』ゆかりの地

紫式部&『源氏物語』ゆかりの地へ! 【京都編】

2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の主人公・紫式部。『源氏物語』、『紫式部日記』の作者としても知られる紫式部ゆかりの地を旅するならば、まずは活躍の地である京都へ。平安時代、大坂(大阪)や兵庫(神戸)がまた田舎だとされた時代の京の都を想

紫式部&『源氏物語』ゆかりの地へ!

紫式部&『源氏物語』ゆかりの地へ! 【福井編】

長徳2年(996年)、紫式部は父・藤原為時に伴って越前国に入国しますが、これが人生で京を離れて暮らした唯一の経験。紫式部が暮らした屋敷のあった場所は定かでありませんが、父・藤原為時が国司として任官した国庁は、越前市武生にあったと推測されてい

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ