滋賀県大津市にある石山寺は、平安時代、宮中の女性たちの観音詣(石山詣)の地。紫式部は、石山寺で『源氏物語』の構想を練ったとされています。また琵琶湖の舟運を含め、越前下向時の道筋でもあり、父・父・藤原為時(ふじわらのためとき)に帯同して旅した際の歌なども残されています。
石山寺|紫式部が参籠し、『源氏物語』の構想を練った寺
所在地:滋賀県大津市石山寺1-1-1
内容:寛弘元年(1004年)、時の中宮・彰子の新しい読み物をという希望に応えるため、構想を練るためもあって紫式部が参籠し、 『源氏物語』を起筆したというのが石山寺
参籠した最後の夜が十五夜で、瀬田川の川面に映る月を眺め、光源氏が都を思い浮かべるシーンを想定し、「今宵は十五夜なりけり」という書き出しが生まれたとも(室町時代に記された源氏物語の古注釈書『河海抄』による)
石山寺は、京の清水寺、奈良の長谷寺と並んで三観音と称され(西国三十三所第13番札所)、宮中の女性の間で石山詣が盛んに行なわれていました
紫式部と縁がある石山寺の中でも、最も関係深いのが本堂内部の東側にある「源氏の間」ですが、残念ながら建物自体が戦国時代末期の再建のため、往時のものではありません
逢坂の関|石山詣などの際には、逢坂越を利用
所在地:滋賀県大津市逢坂
内容:京の都と近江国(滋賀県)大津とを結ぶ峠越えの道が逢坂越(おうさかごえ)で、東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路がここを通っていました
紫式部も、父・藤原為時(ふじわらのためとき)に帯同して越前国(福井県)に下向の際、そして石山詣の際にはこの逢坂越を利用していました
白鬚神社|越前国に下向する際、歌を詠んだ地
所在地:滋賀県高島市鵜川215
内容:越前国の国司となった父・藤原為時(ふじわらのためとき)に帯同して越前へと下向する際に、この地で詠んだのが、「三尾の海に 網引く民のてまもなく 立居につけて 都恋しも」です
紫式部は、父・藤原為時とともに逢坂峠を越えて大津に入り、大津で琵琶湖舟運の船に乗船し、塩津へと向かったと推測できます
途中、高島・三尾崎の浜辺で、漁をする人々の網を引く見なれぬ姿に驚き、遠く離れつつある都が恋しく思ったというわけです
塩津神社|越前に下向する際、この神社に参拝し旅の安全を祈願
所在地:滋賀県長浜市西浅井町塩津浜547
内容:北陸と大津・京を結ぶ琵琶湖舟運の要衝で、海津湊(高島市マキノ町)、大浦湊(長浜市)とともに湖北三湊のひとつ塩田湊に鎮座する古社
越前国武生へ出向く際に、大津から船に乗り塩津で下船、塩津神社に参拝し旅の安全を祈願しています
「塩津山といふ道のいと繁きを賎(しず)の男のあやしきさまどもして『なおからき道なりや』といふを聞きて『知りぬらむ往来にならす塩津山世に経る道はからきものぞと』」(『紫式部集』)
塩津神社は、現在では社前を国道8号が通っていますが、国道開通以前は、海に面して建っていました
深坂古道(深坂地蔵堂)|紫式部も歩いた古道が現存
所在地:滋賀県長浜市西浅井町沓掛
内容:越前国(敦賀)と近江国(塩津)を結ぶ最短ルートとして古から使われた塩津街道・深坂峠越えの道が深坂古道
紫式部も歩いた古道が現存しています
紫式部&『源氏物語』ゆかりの地へ! 【滋賀編】 | |
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