奈良県奈良市柳生町、寛永19年(1642年)、柳生藩初代藩主・柳生宗矩(やぎゅうむねのり)が菩提寺の芳徳寺建立後、3年を費やして建てた坪数1347坪(『柳生藩日記』)の陣屋の跡が旧柳生藩陣屋跡。徳川家の剣術指南役だった柳生家は城を保有せず、陣屋が藩政の中心地として機能していました。
柳生藩の藩庁ですが、藩主は江戸に定府
建物は柳生宗冬(やぎゅうむねふゆ)が増築整備していますが、延享4年(1747年)に火災により全焼し、仮建築のまま明治の廃藩置県を迎え、その後、柳生県の庁舎にもなりましたが現在は井戸や石組みなどが残るのみ。
一帯は公園として整備され、300本のソメイヨシノが植栽され、奈良市中心部よりも遅れての桜見物ができる花見の名所となっています。
柳生藩は、藩主が将軍家の剣術指南などを務める幕府要人でしたが石高は1万2500石の小藩で、藩祖・柳生宗矩の死後、長男の柳生三厳(十兵衛)に8300石、三男・柳生宗冬に4000石、四男・柳生六丸(柳生列堂義仙)に200石と分知されたため、柳生家は大名から旗本になり、柳生三巌の死後、跡目がなかったことで柳生宗冬が家督と遺領を継ぎ(4000石は幕府に返上)、さらに寛文8年(1668年)1700石を加増され、1万石を領する大名に復帰しています。
藩庁は柳生藩陣屋ですが、代々の藩主は将軍家の剣術指南役を務めるため、参勤交代を免除される定府大名で、江戸詰めでした(下屋敷は、現在の東京都品川区西五反田3丁目に、上屋敷は港区新橋6丁目)。
旧柳生藩陣屋跡 | |
名称 | 旧柳生藩陣屋跡/きゅうやぎゅうはんじんやあと |
所在地 | 奈良県奈良市柳生町339 |
関連HP | 奈良市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 近鉄奈良駅から奈良交通バス柳生・邑地中村行きで50分、終点下車、徒歩8分 |
ドライブで | 名阪国道針ICから約16km |
駐車場 | 柳生観光駐車場(50台/有料) |
問い合わせ | 柳生観光協会 TEL:0742-94-0002 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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