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キトラ古墳

キトラ古墳

奈良県高市郡明日香村、村の南西部、飛鳥歴史公園内キトラ古墳周辺地区の南に位置するのが、キトラ古墳。阿部山の南斜面に築かれた2段構成の円墳(上段が直径9.4m、下段が直径13.8m)で、昭和58年に、「玄武」壁画が発見され話題を集めました。世界文化遺産登録を目指す「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産のひとつ。

高松塚古墳に匹敵する飛鳥の枢要な文化財

持統天皇8年(694年)完成の藤原宮(ふじわらのみや)の南の墓域に位置する壁画古墳。
高松塚古墳に比べて唐文化の影響を受けていないことから、遣唐使が帰国する704年以前の7世紀後半〜8世紀初頭に築造されたと推測され、律令による墓制の変化、大陸の文化と技術の導入が明確ということで、中尾山古墳、高松塚古墳と同様に「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産になっています。

古墳の天井に描かれている天文図は、現存する東アジア最古のものですが、最新の天文学の研究で、なんと中国で観測された天文図であることが判明しています。

天文図のほかにも東西南北の四壁の中央に四神の青龍、白虎(びゃっこ)、朱雀(すざく)、玄武、さらには十二支、日月も描かれています。

キトラという風変わりな名前は、壁画の亀(玄武=北)と虎(白虎=西)からとも、北浦(阿部山集落の北)という地名の転ともいわれており定かでありません。
高松塚古墳では白虎が南向きなのに対し、キトラ古墳では風変わりな北向きに。
高松塚古墳では天井の絵がデザイン化された「星宿図」なのに対し、キトラ古墳は精緻な「天文図」となっています。

埋葬者も定かでなく、阿部山という地名から右大臣の阿倍御主人(あべのみうし)とする説もありますが(その意味では全国の阿部さんのルーツ)、天武天皇の皇子・高市皇子(たけちのみこ)や百済王・昌成(しょうじょう)とする説もあります。

壁画の公開などは奈良文化財研究所が担当。
キトラ古墳壁画体験館四神の館1階の「キトラ古墳壁画保存管理施設」では、期間限定・事前申込制で壁画実物を公開しています(応募フォームから応募できます)。

現在、国の特別史跡になっている装飾古墳は、キトラ古墳のほか、同じ明日香村の高松塚古墳と、ヤマト王権の九州支配の拠点だった福岡県嘉穂郡桂川町にある王塚古墳の3ヶ所にすぎません。

石室内の様子やキトラ古墳の詳細は、キトラ古墳壁画体験館「四神の館」で学べるほか、飛鳥資料館、明日香村埋蔵文化財展示室でも、復原模型や写真パネルで見ることができます。

キトラ古墳
名称キトラ古墳/きとらこふん
Kitora Tumulus
所在地奈良県高市郡明日香村阿部山
関連HP国営飛鳥歴史公園公式ホームページ
電車・バスで近鉄吉野線飛鳥駅から徒歩35分
ドライブで京奈和自動車道木津ICから約34km
駐車場42台/無料
問い合わせキトラ古墳壁画体験館 四神の館 TEL:0744-54-5105
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

藤原宮跡

奈良県橿原市(かしはらし)、大和三山に囲まれた日本最初の本格的な皇宮の遺構が、藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)。持統天皇8年(694年)完成で、平城京遷都までの16年間、持統、文武、元明の天皇3代が律令国家体制を強力に推進した宮殿の跡です。世

国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区

奈良県高市郡明日香村、高松塚周辺地区、石舞台地区、甘樫丘地区、祝戸地区、キトラ古墳周辺地区の5地区(総面積60ha)からなる国営飛鳥歴史公園で、特別史跡キトラ古墳を中心とするエリアが、キトラ古墳周辺地区。「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」も

中尾山古墳

奈良県高市郡明日香村にある栗原塚穴古墳(文武天皇陵)から北に延びる丘陵頂部にあるのが、中尾山古墳。古墳築造の最終末期、8世紀初頭に築かれた八角墳で、25歳の若さで崩御した文武天皇(もんむてんのう)の真陵ではないかと推測され、世界遺産を目指す

高松塚古墳

奈良県高市郡明日香村、飛鳥地方の西南部、桧隈(ひのくま)と呼ばれる渡来人の里(飛鳥歴史公園内高松塚周辺地区)に位置する直径18m(上段)、高さ5mの円墳が高松塚古墳。藤原京期(694年~710年)の築造で、世界文化遺産登録を目指す「飛鳥・藤

石舞台古墳

奈良県高市郡明日香村、飛鳥歴史公園内石舞台周辺地区の中央に位置する日本最大級の方墳が、石舞台古墳。巨大な両袖式の横穴式石室が露呈していることから、古くから石舞台と呼ばれてきました。世界文化遺産登録を目指す「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」

 

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