ヒシアゲ古墳(磐之媛命陵)

ヒシアゲ古墳(磐之媛命陵)

奈良県奈良市佐紀町にある墳丘長219mという巨大な前方後円墳が、ヒシアゲ古墳。宮内庁から平城坂上陵(ならさかのえのみささぎ)として仁徳天皇皇后である磐之媛命(いわのひめのみこと)の陵墓、磐之媛命陵に治定しています。全国24位、奈良県内7位という巨大な古墳です。

遺構復元がなされ、複製埴輪が並ぶ

ヒシアゲ古墳(磐之媛命陵)

神功皇后に治定される五社神古墳(ごさしこふん)など、ヤマト王権の王墓を含む大古墳が多いことで知られる佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)の1基で、築造時期は5世紀中葉~後半。

古墳の北東部には円墳2基、方墳2基の陪冢(ばいちょう)が築かれ、ヒシアゲ古墳の被葬者が重要な人物だったことがわかります。
宮内庁が管理するため、立ち入ることはできませんが、遺構復元がなされ、複製埴輪が並んでいます。

夫である仁徳天皇陵とは離れた場所にありますが、『古事記』、『日本書紀』には磐之媛命は嫉妬深い后と記され、仁徳天皇30年、磐之媛命が熊野に遊びに行った際、夫である仁徳天皇が八田皇女を宮中に入れたことに激怒し、山城・筒城宮(現・京都府京田辺市多々羅付近)に移り、その地で没したとされています。

ヒシアゲ古墳(磐之媛命陵)
名称 ヒシアゲ古墳(磐之媛命陵)/ひしあげこふん(いわのひめのみこと)
所在地 奈良県奈良市佐紀町2041-2
電車・バスで JR・近鉄奈良駅から奈良交通バス大和西大寺駅行きで航空自衛隊下車、徒歩8分
問い合わせ 奈良市観光戦略課 TEL:0742-34-4739
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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