愛知県名古屋市中区、名古屋城本丸の内堀(西南隅櫓側)に鹿がいるのをご存知でしょうか? 名古屋城の入場券売り場のある正門(旧榎多御門)を入った先にあるのが内堀で、ここに鹿が暮らしています。昭和40年〜50年頃には50頭以上いたという鹿ですが今ではわずかに2頭までに激減、しかも2頭ともメスなのです。
京都・宝ヶ池一帯の野生鹿を貰い受ける話も
実は名古屋城の内堀の鹿は、平成24年頃から2頭態勢になっていて、気が付かない観光客がほとんどという状況に。
ホンシュウジカのメスの親子ですが、市民に愛されながらも名前は付けられていません。
平成29年に足を負傷した際に動物病院にかかったため、便宜的に耳にタグが付けられた1頭を「もみじ」、もう一方を俳優・山村紅葉さんにちなんで「やまむら」と呼んでいます。
現状では、内堀の草だけでは栄養状態が悪くなるため、内週に2回ペレットを与えながら、体調に異変がないか確認しているのです。
江戸時代後期、15代藩主・徳川茂徳の治世に名古屋城の記録を記した江戸時代の史書『金城温古録』(きんじょうおんころく)には、二の丸の東堀で草刈りをしていた労働者たちが石を投げたところ、鹿に追い立てられたという記述があります。
掃除中間頭並(そうじちゅうかんがしらなみ)の奥村得義(おくむらのりよし)の編纂で、かなり正確な内容のため、すでに江戸時代後期に内堀に鹿がいたのは明らかです。
明治維新後には天皇家の離宮となりましたが、昭和9年、岐阜県大垣市から鹿を買い受けて城内に放っていて、戦前も鹿が市民に愛されていました。
名古屋大空襲などで鹿が途絶しましたが、東山動物園からヤクシカ3頭を貰い受けて内堀に離し、昭和52年に56頭にまで増加し、一時は譲渡先を探すほどにもなっていました。
野犬に襲われるなどして11頭まで減ったため、徳川御三家の縁で、和歌山城内の「和歌山城公園動物園」からホンシュウジカ3頭を譲り受け、この鹿が、現在の鹿ということに。
名古屋市の広沢一郎市長も市議会で「多くの来場者に親しまれていますので、シカがいなくなってしまう事態は避けたい」と答弁していますが、もっか絶滅を回避する方法として考案されているのが、京都からの貰い受け。
京都市が宝ヶ池周辺の野生のニホンジカを殺生処分にする予定ですが、その鹿を名古屋市に渡せないだろうかと、市民有志が名古屋市側に働きかけているのです。
「12月を目途にできるだけ早く名古屋城に迎え入れることができるよう、課題解決に向けて最大限努力をしていく」(広沢一郎市長)と名古屋市も前向きの考えです。
さてさて、いかになりますことやら。
名古屋城の内堀の鹿が、絶滅寸前に! | |
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