知床は、アイヌ語の「地の果て」といわれるシリエトクに由来するといわれていますが、羅臼町郷土資料館を学芸員・天方博章(あまがたひろあき)さんに解説で見学すれば、知床に花咲いたオホーツク文化などを知るに連れ、むしろ北方系の民族にとって、知床が「大地(北海道)の入口」だったことに気が付きます。
「オホーツク文化」という未知なる言葉を知るためにも、資料館へ!
知床半島に沿って東西に細長く伸びる羅臼町。
知床連山の北側が斜里町、南側が羅臼町という位置関係です。
そんな羅臼町の中標津寄りある峯浜地区、旧植別小学校を再生した資料館が「羅臼町郷土資料館」です。
資料館の館内では、旧石器時代からの知床半島の歴史を展示解説していますが、注目は、展示される豊富な土器など、羅臼町の各地から発掘された遺物。
北海道は稲作がないので、稲作を前提とした弥生文化がなく、縄文文化に続いて、続縄文文化となります。
その後、中世には、カヌーを使って沿岸漁業をする北方系のオホーツク文化が花開きました。
道東一帯に展開したオホーツク文化ですが、本州の古墳時代の影響を受けた擦文文化(さつもんぶんか)が道南から徐々に勢力を増し、オホーツク文化と融合するように。
「羅臼は、衰退したオホーツク文化が、擦文文化との『融合』という形で痕跡をとどめる貴重な場所なんです」と解説するのは羅臼町郷土資料館の学芸員・天方博章さん。
オホーツク文化と擦文文化が融合して生まれたのが、トビニタイ文化。
実はこのトビニタイという言葉は、羅臼町の飛仁帯(とびにたい)地区で出土した土器に由来する名前。
「北海道の先住民族はアイヌ」というのは本州でも常識になっていますが、実はアイヌ文化は、本州の鎌倉時代以降の文化。
モンゴル帝国(元朝)による樺太侵攻、間宮海峡の海上封鎖により、北方との交流が断絶した北海道に生まれたのが北海道アイヌだと推測されているのです(「北の元寇」とも呼ばれていますが元寇との関連性は定かでありません)。
中世以降、近世に至るまで根室海峡沿岸地域は、アイヌ語で東を意味する「メナシ」と呼ばれ、対岸の「クナシリ」と一体的な文化が広がっていました。
羅臼町は今でも目梨郡(めなしぐん)ですが、目梨はアイヌ語のメナシ(menas)=東方、東風に由来する言葉。
アイヌ民族にとってのメナシ(目梨)とは、むしろ大地の入口(あるいは聖地)という意味合いが強いのです。
北方領土を除いた、最東端の地が「知床ねむろ」(メナシ)ですが、羅臼町郷土資料館に来れば、歴史の授業で学ぶことのなかった、北海道のダイナミックな歴史、北方との交易、自然と共存した先住民族の生活を学ぶことができるのです。
7世紀〜8世紀頃のオホーツク文化期(北方系の海洋狩猟民族)の集落跡である松法川北岸遺跡出土の土器、石器のほか「熊頭注口木製槽」など260点は、国の重要文化財に指定されています。
羅臼町郷土資料館 | |
名称 | 羅臼町郷土資料館/らうすちょうきょうどしりょうかん |
所在地 | 北海道目梨郡羅臼町峯浜町307 |
関連HP | 羅臼町公式ホームページ |
ドライブで | 根室中標津空港から約44km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 羅臼町郷土資料館 TEL:0153-88-3850 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
取材協力/根室振興局、羅臼の宿まるみ
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