北方文化博物館・新潟分館

北方文化博物館・新潟分館は、新潟の旧市街にあり、建物は明治28年に建てられたもの。当初の所有者は日本海の油田掘削で富を得た長岡の清水常作(しみずつねさく)。やがて明治末期には、かつて「越後の豪農」と称された、伊藤家6代目・伊藤文吉の新潟別邸となっています。

會津八一と良寛の書を展示する伊藤文吉の別邸

日本家屋に隣接する洋館は、昭和3年に建てられたもので、伊藤文吉と親交が篤かった歌人・曾津八一(あいづやいち/明治14年、新潟市古町通五番町、料亭「会津屋」生まれ)が暮らした場所。
曾津八一は、昭和21年、坂口献吉氏(坂口安吾の長兄・元新潟放送初代社長)から懇願され「夕刊ニイガタ」の社長を引き受け、永眠する昭和31年まで新潟別邸の洋館で暮らし、新潟市名誉市民にもなっています。

庭には秋艸道人(しゅうそうどうじん=曾津八一)の歌碑も立っています。
館内には曾津八一自筆の歌書や墨絵のほか、良寛の書なども展示。
茶室を配した枯山水の日本庭園も見事です。

北方文化博物館・新潟分館
名称北方文化博物館・新潟分館/ほっぽうぶんかはくぶつかん・にいがたぶんかん
所在地新潟県新潟市中央区南浜通2番町562
関連HP北方文化博物館・新潟分館公式ホームページ
電車・バスでJR新潟駅から新潟交通バス浜浦町行きで15分、西大畑下車、徒歩3分
ドライブで日本海東北自動車道新潟亀田ICから約8.5km
駐車場3台/無料
問い合わせ北方文化博物館・新潟分館 TEL:025-222-2262/FAX:025-222-2262
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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