燕喜館

明治時代の大商家、斎藤家の邸宅の一部(明治40年代の建築物と推定)を、東堀通7番町から白山公園内に移築復元したのが燕喜館。奥座敷、前座敷、居室、茶室は、茶道や俳句などの伝統的文化活動に有料で利用できるほか、利用されていない部屋は無料で見学することが可能。抹茶・コーヒーをいただくこともできます。

白山公園に移築された明治の大商家

燕喜館という名は、唐の思想家・韓愈(768年~824年)の『燕喜邸記』にちなんだもの。
館内から眺める白山公園の蓮池は実に見事です。

燕喜館奥座敷の柱に杉の四方柾(すべての面が柾目という柱)が使われているほか、入手困難な材料も多用されており、往時の新潟の繁栄ぶりを垣間見ることができます。
旧斎藤家住宅主屋として国の登録有形文化財に。

斎藤家住宅(燕喜館)の建っていた東堀通7番町一帯には、東堀通沿いの鍋茶屋、南毘沙門町の小林家住宅、本町通十一番町の大橋屋など歴史的建造物も数多く残されています。

燕喜館は、日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の構成資産にもなっています。

斎藤喜十郎財閥
斎藤喜十郎財閥は、新潟三大財閥(斎藤喜十郎財閥、鍵冨三作財閥、新潟白勢財閥)のひとつ。
斎藤家は越前三国湊から新潟に移住し、代々大地主で江戸時代から酒造を営む豪商(屋号は三国屋)。
明治時代には金融業(国立第四銀行)や海運業(北海道への北前船や新潟川汽船=新潟と長岡を結ぶ蒸気船運航、越佐汽船)にも進出。
明治時代には焼酎を北海道へ輸出して巨利を得ています。
新潟硫酸会社を設立しましたが第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による財閥解体の指令により解体。
後継企業は第四銀行、佐渡汽船など。
新潟市中央区西大畑にある「旧齋藤家別邸」(庭園は国の名勝・旧齋藤氏別邸庭園)も公開されているのであわせて見学を。
燕喜館
名称 燕喜館/えんきかん
所在地 新潟県新潟市中央区一番堀通町1-2
関連HP 燕喜館公式ホームページ
電車・バスで JR新潟駅から徒歩20分
ドライブで 磐越自動車道(北陸自動車道)新潟中央ICから約5.9km
駐車場 白山公園駐車場A、B、C、D(合計592台/有料)
問い合わせ 燕喜館 TEL:025-224-6081/FAX:025-224-6081
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

旧小澤家住宅

2017年8月3日

 

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