足軽長屋

足軽長屋は、その名の通り藩政時代の新発田藩(しばたはん)足軽の住居で、茅葺き平屋建ての八軒長屋。新発田藩の普請奉行が建てた棟札から1842(天保13)年築ということが判明しており、藩政時代には北長屋と呼ばれていました。幕末の下級武士の生活ぶりを伝える全国的にも珍しい遺構で、国の重要文化財に指定されています。

新発田藩の足軽が暮らした八軒長屋が現存

新発田藩は軍事的理由から、城下の幹線道路の出入口の外側に足軽長屋を配しましたが、清水谷長屋は会津街道口(会津街道=現在の県道14号で山内宿、赤谷宿を経て綱木宿に至った)に位置しています。
木造茅葺きの建物から、当時の足軽たちの質素な暮らしぶりが実感できます。

かつては城下に、何棟かの足軽長屋があり、清水谷長屋も4棟で構成されていましたが、現在は、1棟が残るのみです。

足軽長屋
名称足軽長屋/あしがるながや
所在地新潟県新発田市大栄町7-9-32
関連HP清水園公式ホームページ
電車・バスでJR新発田駅から徒歩8分
ドライブで日本海東北自動車道聖籠新発田ICから約5m
駐車場清水園駐車場(45台/無料)を利用
問い合わせ清水園 TEL:0254-22-2659/FAX:0254-22-0171
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

清水園

阿賀北(阿賀野川北部)にある10万石の城下町・新発田。清水園は、約4600坪の敷地に、書院や京風庭園などが点在する、新発田藩藩主・溝口家の下屋敷跡。3代藩主・溝口宣直(みぞぐちのぶなお)の治世の1666(寛文6)年に棟上げされ、4代・重雄の

北方文化博物館・新潟分館

北方文化博物館・新潟分館は、新潟の旧市街にあり、建物は明治28年に建てられたもの。当初の所有者は日本海の油田掘削で富を得た長岡の清水常作(しみずつねさく)。やがて明治末期には、かつて「越後の豪農」と称された、伊藤家6代目・伊藤文吉の新潟別邸

北方文化博物館

新潟市の江南区、沢海(そうみ)地区にあるのが越後随一の豪農・豪商、伊藤家。伊藤家が明治15年〜22年に築いた邸宅と庭園が一般公開されているのが、北方文化博物館で、とくに庭園は国の名勝に。阿賀野川と小阿賀野川に挟まれた沢海で、財を築いた伊藤家

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ