春日山林泉寺

春日山林泉寺(上越市)

新潟県上越市にある上杉謙信の祖父・長尾能景(ながおよしかげ)が、父・長尾重景(ながおしげかげ)の菩提を弔うため明応6年(1479年)に建立した寺が、春日山林泉寺。虎千代(上杉謙信の幼名)は7歳から14歳まで、林泉寺6代住職・天室光育(てんしつこういく)の下で厳しい文武の修行を積んでいます。

虎千代(上杉謙信)が文武の修行をした寺

惣門は春日山城の裏門を移築したもので(現存する春日山城の唯一の遺構)、この寺に預けられた虎千代もくぐったと伝わっています。
虎千代は14歳の時に呼び戻されて元服し、長尾景虎となり、さらに上杉家を継承し上杉輝虎を称すると林泉寺は上杉氏の菩提寺となっています。

上杉輝虎は、元亀元年(1570年)、7世住職・益翁宗謙(やくおうそうけん)のもとに参禅し、元亀元年(1570年)に剃髪した際、師の諱(いみな)から一字を取って不識庵謙信と号し、これが上杉謙信という名の始まりに。
益翁宗謙は、「達磨大師が『不識』といった意味は何か」と謙信に迫り、この答えを求めます。
この問答が「達磨不識の逸話」で、関東出兵で多くの将兵を失った悩める謙信は、ついに治世者として、戦国の世を生き抜く決意をするのでした。

上杉氏が出羽国・米沢(現・山形県米沢市)に移封後は、衰退しますが、春日山城主となった堀秀治(ほりひではる)によって再興され(堀秀重、堀秀政、堀秀治と堀家3代の位牌と墓があります)、藩政時代には歴代藩主の尊崇を集めています。

境内には室町時代の庭園、上杉謙信の墓所、川中島合戦戦死者の供養塔などがあります。
山門(二重門)は、大正14年に上杉謙信生誕400年を記念して再建されたもので、掲げられた「第一義」の扁額は謙信の直筆(現在掲げられているものは複製、実物は境内の宝物館に保管)。
仏教の開祖ブッダが悟った万物の真理のことを示す言葉です。
左右に金剛力士像が配され、天井には『雲龍図』が描かれています。

本尊・釈迦如来像を安置する本堂は、平成9年に開創500年を記念して再建されたもの。

授与品には、和歌山産の那智石に「毘」の字を刻んだ「勝守り」、古来から伝わる版木の御神体を封入した「災難除けの毘・龍守り」などがあります。

ちなみに上杉家2代・上杉景勝の時、越後から米沢ヘ移封されたことにより林泉寺も米沢に移り、現在では春日山林泉寺は2ヶ所存在しています。

春日山林泉寺
名称 春日山林泉寺/かすがさんりんせんじ
所在地 新潟県上越市中門前1-1-1
関連HP 春日山林泉寺公式ホームページ
電車・バスで JR直江津駅からタクシーで10分
ドライブで 北陸自動車道上越ICから約7.2km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 春日山林泉寺 TEL:0238-23-0601/FAX:025-525-5006
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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