後鳥羽上皇が執権・北条義時と対峙し、鎌倉幕府倒幕の狼煙(のろし)を上げた承久の乱(じょうきゅうのらん)。倒幕に失敗し佐渡に流罪となった後鳥羽天皇の第三皇子・順徳上皇は、24歳の若さで佐渡に流され、46歳で崩御するまでの22年間を過ごしたのが佐渡市真野地区にある真野宮です。
順徳上皇の行在所跡で、江戸時代までは真輪寺という寺だった地
後鳥羽上皇の院政時代の承元4年(1210年)、土御門天皇の譲位を受けて14歳という若さで即位し、直接政務を司ることなく『禁秘抄』を著した順徳天皇。
順徳天皇は、藤原定家に師事して歌才を磨き、『順徳院御集』(紫禁和歌草)など歌にも才能を発揮していました。
後鳥羽上皇の討幕計画に参画し、承久3年(1221年)、我が子の懐成親王(仲恭天皇)に譲位して上皇の立場となり、鎌倉幕府打倒に尽力します。
承久3年7月13日(1221年8月9日)、後鳥羽法皇は隠岐国へ配流、そして7月21日(西暦だと8月17日)、順徳上皇は佐渡国へ配流となっています。
順徳上皇は国分寺の末寺で、天台宗系の修験道場だった真輪寺(しんりんじ)を住居としています。
江戸時代までは、真輪寺が順徳上皇の木像を安置し、御火葬塚(真野御陵)の管理をしていました。
真野宮と称するようになったのは明治の廃仏毀釈後。
真輪寺は明治元年12月に廃寺となって、順徳上皇を祭神とする真野宮となったのです。
現在の社殿は大正9年築のもの(昭和16年に社地拡張整備し、鳥居、神橋、神門、社務所を新設)。
社宝として順徳天皇御遺愛と伝わる短刀、硯、扇子などがあります。
真野宮背後の丘の上にある阿弥陀堂跡(真輪寺本堂跡)が上皇の行在所跡。
一帯は真野公園として整備され、近くには上皇を荼毘(だび)に付した火葬塚(真野御陵)もあります。
真野宮 | |
名称 | 真野宮/まのぐう |
所在地 | 新潟県佐渡市真野655 |
関連HP | 佐渡市公式観光情報サイト |
電車・バスで | 両津港から新潟交通佐渡バス南線で36分、真野新町下車、赤泊線に乗り換え5分、真野宮前下車、すぐ |
ドライブで | 両津港(佐渡汽船旅客ターミナル)から約20km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 真野宮 TEL:0259-55-2063 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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