明治7年創業、新潟県新潟市のホテル「イタリア軒」に併設のリストランテマルコポーロ。イタリア軒は、開港当時にイタリア人のコック、ピエトロ・ミリオーレが開いたレストランがルーツ。「新潟の鹿鳴館」と呼ばれた味を継承したカジュアルレストランが「リストランテ マルコポーロ」です。
日本の本格的な洋食はイタリア軒から始まった!
「食と文化の発信基地」をコンセプトに掲げるホテル「イタリア軒」。
和食や中華のレストランもありますが、やはり注目は1階にある洋食「リストランテ マルコポーロ」。
イタリア人冒険家マルコ・ポーロの航海中をイメージした店内ですが、旧館時代から受継がれているステンドグラスがノスタルジックな雰囲気を漂わせています。
モーニングはブッフェですが(老舗伝統のデミグラスソースを使ったオムレツ、伝統のカレーも美味ですが)、ランチ、ディナーには、イタリア軒の伝統の洋食を味わうことができます。
とくにランチタイムなら、ビーフコロッケ、メンチカツ、チキンカツ、ロールキャベツ、ハヤシライスなど伝統の味を手頃に堪能することができます。
伝統のボロニア風ミートソーススパゲッティ、ハヤシライスなどは、人気メニュー。
ディナーでも、ランチ同様のア・ラ・カルトの注文ももちろんできますが、新潟美食ディナーコースもおすすめです。
新潟開港と「新潟の鹿鳴館」イタリア軒
幕末に交わした日米修好通商条約で五港(函館・新潟・神奈川・兵庫・長崎)のひとつとして明治元年11月19日(1869年1月1日)に開港した新潟港(明治初年は北前船の全盛時代で、日本の物流は日本海側がメインでした)。
明治7年5月、開港直後の新潟湊町にやってきたフランス人スリエの率いる「スリエ曲馬団」(明治4年横浜に来航)一行の中に、イタリア人の青年コック、ピエトロ・ミリオーレがいたのですが、怪我をして新潟の曲馬団に雇用されていました。
県令楠本正隆は、ミリオーレに牛鍋屋を開く資金を出し、明治13年8月7日の大火で店は焼失。
火災からの復興とともに「イタリア軒」として日本初となる本格的西洋レストランを開業し、「新潟の鹿鳴館」と呼ばれるようになったのです(ピエトロ・ミリオーレは、明治45年にイタリアに帰国)。
リストランテ マルコポーロ(イタリア軒) | |
名称 | リストランテ マルコポーロ(イタリア軒)/りすとらんてまるこぽーろ(いたりあけん) |
所在地 | 新潟県新潟市中央区西堀通7番町1574ホテルイタリア軒内 |
関連HP | イタリア軒公式ホームページ |
電車・バスで | JR新潟駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 北陸自動車道新潟西IC、磐越自動車道新潟中央ICから約8km |
駐車場 | ホテル イタリア軒地下2階駐車場(70台/有料・施設利用に応じて無料サービスあり) |
問い合わせ | リストランテ マルコポーロ(イタリア軒) TEL:025-224-5123 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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