旧新潟税関庁舎

1858(安政5)年の修好通商条約締結で開港場の一つに選ばれた新潟は明治元年に開港。関税業務を行なう施設として明治2年に新潟運上所(旧新潟税関庁舎)が設置されました。開港5港(箱館、新潟、神奈川、兵庫、長崎)当時の税関として現存する唯一の建物で、国の重要文化財に指定されています。

修好通商条約で開港した地に残る唯一の税関建築

開港地となった新潟ですが、新潟は定住する外国人が少なかったため、神奈川(横浜)や兵庫(神戸)のような居留地を設けることがなく、新潟の市街に外国人が雑居するような形になっていました。

旧新潟税関庁舎は、木造平屋建ての擬洋風建築で、瓦葺き、屋上中央には監視塔(塔屋)が付けられています。
棟梁は新潟町の円六という大工で、大工・石工・左官などはすべて日本人。

建設当時は新潟運上所と呼ばれ、明治6年に税関に名を改め、昭和41年まで税関として現役で使われていました。
昭和47年から平成15年3月まで新潟市郷土資料館として再生されていましたが、現在では新潟市歴史博物館の付属施設となって保存されています。

昭和46年に、旧新潟税関庁舎を明治2年の竣工当時の姿へ戻す復元工事が行なわれ、往時の姿がそのままに現存。
建設当時は波打ち際でヨシが生い茂る土地だったといい、6尺(約1.8m)ほど土盛りをして建築されています。
周辺には石庫や土蔵、荷物の上げ下げのための石段がありましたが、土蔵と信濃川に面してその石段が復元されているのでお見逃しなく。

荷揚げ場の石段が復元されています

開港150周年の新潟

アメリカ、オランダ、イギリス、ロシア、フランスの5ヶ国と結んだ安政の修好通商条約で幕府が約束した港のうち、新潟の開港が一番遅く、明治元年11月のこと。
実は、新潟港は信濃川の河口で水位が低く、大型船の入港に不適だったのです。
そのため、佐渡の夷港(えびすこう=両津港)を補助港にしてなんとか開港にこぎつけたのですが、貿易は不振でした。
近代的な港になったのは大正15年のことです。
新潟港は、平成30年に開港150周年を数えます

旧新潟税関庁舎
名称旧新潟税関庁舎/きゅうにいがたぜいかんちょうしゃ
所在地新潟県新潟市中央区柳島町2-10
関連HPみなとぴあ新潟市歴史博物館公式ホームページ
電車・バスでJR新潟駅万代口バスターミナルから新潟交通バス昭和大橋・入船町行きで25分、歴史博物館前下車。または朱鷺メッセ先回りコースで15分、歴史博物館前下車
ドライブで日本海東北自動車道新潟亀田ICから約8.7km
駐車場60台/無料
問い合わせみなとぴあ新潟市歴史博物館 TEL:025-225-6111/FAX:025-225-6130
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
早川堀(みなとぴあ新潟市歴史博物館)

早川堀(みなとぴあ新潟市歴史博物館)

新潟県新潟市中央区柳島町、「みなとぴあ新潟市歴史博物館」内にある石倉(いしぐら)の裏手にある水路が早川堀。昭和61年に復元された水路で、敷地内にはほかに、博物館本館脇に大正期の西堀をイメージした幅7.2mの「四間堀」、旧新潟税関庁舎の「荷揚

みなとぴあ新潟市歴史博物館

信濃川・新潟西港に面して建つ歴史博物館が「みなとぴあ新潟市歴史博物館」。新潟は北前船の寄港する湊町で、全国各地の物産や文化の集散地でした。湊から河川を使って物資は流通し、江戸時代には商業基地として大いに繁栄したのです。明治の開港以降の発展を

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ