早川堀(みなとぴあ新潟市歴史博物館)

早川堀(みなとぴあ新潟市歴史博物館)

新潟県新潟市中央区柳島町、「みなとぴあ新潟市歴史博物館」内にある石倉(いしぐら)の裏手にある水路が早川堀。昭和61年に復元された水路で、敷地内にはほかに、博物館本館脇に大正期の西堀をイメージした幅7.2mの「四間堀」、旧新潟税関庁舎の「荷揚げ場」前には、「信濃川旧河道」などが復元されています。

柳都(りゅうと)と呼ばれた新潟の堀を復元

早川堀(みなとぴあ新潟市歴史博物館)
博物館本館横の四間堀(復元)

かつて新潟では、西堀、東堀、五菜堀、本間堀、早川堀などの堀割が市内を縦横無尽に巡らされていた運河都市でした(明治の北前船、信濃川舟運全盛期には30以上の堀が機能していました)。
それが昭和30年代に入り、地盤沈下と高度成長期における交通量増大によって埋め立てられ、昭和39年の宮浦堀、一番堀の埋め立てで消滅。
現在当時の面影を知るよすがは、残されていません。

明治初期に掘削された全長468m、幅16mの早川堀は、赤坂町と西湊町通の間を通り、稲荷町と新潟税関(現・みなとぴあ新潟市歴史博物館旧新潟税関庁舎)の脇(現・稲荷町交差点)を抜けて信濃川へ流れていました。

その後、運河とその脇にあった柳の風情を取り戻そうという気運が高まり、旧新潟税関庁舎(運上所)の石庫(保税倉庫)が「みなとぴあ」に復原されたのを機に、その裏手に、柳そよぐ往時の美しい堀端をイメージした早川堀の復元事業が行なわれたのです。
堀の名は、往時の有力者・早川氏の名前にちなんで付けられたもの。

早川堀(みなとぴあ新潟市歴史博物館)
名称 早川堀(みなとぴあ新潟市歴史博物館)/はやかわぼり(みなとぴあにいがたしれきしはくぶつかん)
所在地 新潟県新潟市中央区柳島町2-10
電車・バスで JR新潟駅万代口バスターミナルから新潟交通バス昭和大橋・入船町行きで25分、歴史博物館前下車。または朱鷺メッセ先回りコース(犬夜叉号)で15分、歴史博物館前下車
ドライブで 日本海東北自動車道新潟亀田ICから約8.7km
駐車場 60台/無料
問い合わせ みなとぴあ新潟市歴史博物館 TEL:025-225-6111/FAX:025-225-6130
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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