北前船廻船問屋の町・上大川前通(大川前通横町)

北前船廻船問屋の町・上大川前通(大川前通横町)

新潟県新潟市中央区の上大川前通12番町は、かつての大川前通横町で、石崎屋喜兵衛など、北前船の廻船問屋(大店)が建ち並んだ場所。江戸時代の中頃、信濃川(当時は大川と呼称)の左岸が、現在の上大川前通のあたりでした。そこに新潟町ができて拡大を続け、新潟湊として機能したのです。

かつては廻船問屋が建ち並んだ通り

北前船廻船問屋の町・上大川前通(大川前通横町)

当時の町名は、大川前通横町。
まさに大川の前という意味の町名です。
現在の上大川前通は、さしずめウォーターフロントで、700石船、500石船を保有する石崎屋喜兵衛の廻船問屋(大問屋)などが軒を連ねていました。

都市開発などにより、往時の新潟町を象徴づけていた堀はすべて埋められ、その姿を消しましたが、細い小路と町家は、今も健在。
なかでも上大川前通12番町には、御祭堀や思案小路と交差する通りに、古い街並みが残り、新潟市指定文化財である旧小澤家住宅(小澤家は明治以降に廻船問屋として財を成しました)など、当時の町家建築も保存されています。
ほかに、網元の屋敷跡である片桐邸や大正14年築造の清広刃物製作所など、納豆の製造の渡辺益二商店(上大川前通11番町)、木造2階建ての町家建築がそこここに見られ、往時の雰囲気を感じとることができます。

旧小澤家住宅は、日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」、「にいがた庭園街道」の構成資産にもなっています。

新潟に繁栄をもたらした北前船、大川前に並んだ廻船問屋

古町芸妓
北前船の繁栄を今に伝える古町芸妓(料亭「鍋茶屋」)

北前船は、現在の輸送業とは異なり、「買積み」といって、例えば蝦夷地(北海道)で仕入れた干鰊を富山で売って利益を得るという商売をしていました。

江戸と大坂の間を往復していた太平洋側の菱垣廻船、樽廻船は、運賃をもらう運送業なので、この「買積み」システムは、北前船独特のもので、これによって問屋(販売の仲介者ですが船主を兼ねる場合も)となる廻船問屋は財を成し、新潟に繁栄をもたらしたのです。

しかも、買付や販売は、廻船問屋配下の船頭(船長)が自分の才覚で品物を仕入れ、売却していました。
廻船問屋が並んだのが大川前、今の上大川前通で、新潟湊で廻船問屋を始めたい場合には、大川前に土地と店を購入し、廻船問屋の株を買わないと商売ができないシステムになっていました。
すべての荷は廻船問屋を通さなければならなかったので、必然的に賑わいの中心にもなっていました。

廻船問屋は北前船が寄港する間(1ヶ月弱)、船頭をもてなすために、料亭で接待をするなどしたので、花街や料亭文化も生まれたのです。
新潟の古町芸妓(ふるまちげいぎ)が、京の祇園、東京の新橋の芸妓と並び称されていたのも、そんな歴史があるからです。

北前船廻船問屋の町・上大川前通(大川前通横町)
名称 北前船廻船問屋の町・上大川前通(大川前通横町)/きたまえぶねかいせんどんやのまち・かみおおかわまえどおり(おおかえまえよこちょう)
所在地 新潟県新潟市中央区上大川前通12番町
電車・バスで JR新潟駅からタクシーで10分
ドライブで 日本海東北自動車道新潟亀田IC、磐越道新潟中央ICから約8km、北陸自動車道新潟西ICから約10km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

旧小澤家住宅

戦国時代には、信濃川河口右岸の蒲原津、阿賀野川河口(現・通船川河口)右岸の沼垂湊(ぬったりみなと)、信濃川河口左岸の新潟津が「三か津」と総称されていましたが、江戸時代には新潟津が北前船の寄港地として、さらに長岡藩の外港として繁栄しました。旧

 

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日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

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