長崎県長崎市坂本町・目覚町にある外国人墓地が、坂本国際墓地。明治21年に開設された外国人墓地で、墓地にはトーマス・グラバー、グラバー・ツル夫妻、その息子の倉場富三郎・ワカ夫妻も眠っています(新坂本国際墓地に埋葬)。埋葬者も多様なため、500基にのぼる墓石の形なども、それぞれ異なっています。
グラバーやウォーカーが眠る
大浦国際墓地が手狭になったことを受けて、明治21年、居留地で暮らす人々を埋葬する国際墓地として浦上山里村に築かれたのが坂本国際墓地。
明治36年にはさらに隣接地に新坂本国際墓地が開設されています。
埋葬されるのは、日本人を含む14ヶ国、325名(隣接の新坂本国際墓地に13ヶ国・117名)で、長崎では最大の国際墓地。
開港以降、多くの国の人々が長崎に来航し、異国の土地で亡くなっていますが、そうした歴史を今に伝える貴重な場所です。
坂本国際墓地(377区画)・新坂本国際墓地(85区画)にはトーマス・ブレーク・グラバー( Thomas Blake Glover)のほか、岩崎弥太郎率いる商船会社「郵便汽船三菱会社」(後の日本郵船)の船長兼取締役、そして「ジャパン・ブルワリー」(後の麒麟麦酒)の筆頭株主・支配人を務めたウィルソン・ウォーカー (Wilson Walker)、英語教育にも貢献した宣教師・ヘンリー・スタウト(Henry Stout)、また自らも被爆しながら被爆者のための医療活動を続け、『長崎の鐘』や『この子を残して』などの著者としても知られる、永井隆博士、さらには長崎で活躍したユダヤ人商人(ユダヤ人区域墓地)やフランス人(フランス人兵士区域)、アメリカ人兵士、明治33年に中国で勃発した義和団事件で犠牲となったベトナム人(ベトナム人区域)、フランス水兵(フランス人兵士区域)などさまざま。
グラバー夫妻の息子・倉場富三郎の墓標に刻まれた名はトーマス・アルバート・グラバー(Thomas Albert Glover)です。
一本柱鳥居や被爆クスノキで知られる山王神社からは徒歩5分ほど。
現在は長崎市営の墓地ですが、見学にあたってはマナーを守り、参拝者の迷惑にならないように留意を。
長崎の国際墓地
長崎の外国人墓地は、悟真寺(ごしんじ)近くに唐人墓地、続いてオランダ人墓地、ロシア人墓地が築かれたことを発端に、安政6年(1859年)の開国後に稲佐悟真寺国際墓地が開設。
外国人居留地の対岸という条件の悪さ、そして墓地が手狭になったことから江戸幕府は、文久元年(1861年)、大浦国際墓地を築いています。
長崎港が国際貿易港として発展すると、居留地人口も増加、大浦国際墓地も手狭になり、明治21年に坂本国際墓地を解説しています。
坂本国際墓地 | |
名称 | 坂本国際墓地/さかもとこくさいぼち |
所在地 | 長崎県長崎市坂本1-2 |
関連HP | 長崎市公式観光サイト |
電車・バスで | JR長崎駅から赤迫行き路面電車(長崎電気軌道)で10分、浦上駅前下車、徒歩10分 |
ドライブで | 長崎自動車道長崎ICから約7km |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 長崎市あじさいコール TEL:095-822-8888 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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