旧円融寺庭園

旧円融寺庭園

長崎県大村市玖島にある国の名勝に指定される庭園が旧円融寺庭園。承応元年(1652年)、大村藩4代藩主・大村純長(おおむらすみなが)が創建した天台宗寺院。明治初年の廃仏毀釈の荒波で廃寺となり、現在は護国神社の社地となっていますが、必見は往時に造られた枯山水の石庭です。

城下町大村に残る江戸初期の枯山水

大村藩3代藩主・大村純信(おおむらすみのぶ)は、子供がいなかったことからの無嗣断絶の危機を迎え、血縁関係にない勘定奉行・伊丹勝長の四男を末期養子(まつごようし=死ぬ直前になって養子縁組すること)にして4代・大村純長を名乗らせますが、幕府から裁可を仰ぐ前に純信が33歳という若さで死去。
当時、末期養子の禁がありましたが、慶安4年(1651年)の由比正雪の乱の勃発以降、少し緩やかな対応になり、大村藩の養子縁組は幕府の斡旋であることから徳川家光は跡目相続を認めたのです。
大村純長は、幕府の恩義に報いるためにと、家光没年の翌年に、家光の位牌を祀って円融寺を創建。
当時、沿岸捕鯨で財を成した深沢儀太夫勝清が金2800両という大金を寄進して建立したものです。

以降、歴代徳川将軍の位牌を祀り、大村藩の庇護を受けて繁栄しました。
明治維新で後ろ盾を失い、徳川将軍の位牌を祀るということで、廃絶に。

枯山水の庭は、自然の傾斜地を利用し、山の斜面を築山に見立てたもの。
中央に巨石を据え、これを中心に高さ8m、東西50mの斜面に、およそ400個の自然石を使って構成され、三尊方式の石組を基本にした立石が配されています。
さらには自然の起伏に沿って、中央と左に枯滝を置き、白色の石灰岩で水流を、玉砂利で川の流れを表しています。
全国的にも珍しい江戸初期作庭の名園として、国の名勝となっています。

実はこの庭園、廃寺後にはツツジに覆われていましたが、昭和44年に大学生が発見し、庭園研究家の目にとまって、調査の結果国の名勝になったもの。

ちなみに大村藩の藩庁は、玖島城(くしまじょう)で、現在の大村公園周辺です。

旧円融寺庭園
名称 旧円融寺庭園/きゅうえんゆうじていえん
所在地 長崎県大村市玖島2-505
関連HP 大村市公式ホームページ
電車・バスで JR大村駅から徒歩10分
ドライブで 長崎自動車道木場スマートICから約2km
駐車場 なし/楠正隆屋敷駐車場(10台/無料)を利用
問い合わせ 大村市産業振興部観光振興課 TEL:0957-53-4111/FAX:0957-54-7135
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
大村公園(玖島城)

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