大浦天主堂・旧羅典神学校

大浦天主堂・旧羅典神学校

長崎県長崎市の南山手にある国の重要文化財に指定される西洋館が大浦天主堂・旧羅典神学校(おおうらてんしゅどう・きゅうらてんしんがっこう)。明治8年に完成し、大正15年に浦上神学校ができるまで長崎公教神学校の校舎兼宿舎として使われた建物で、現在はキリシタン博物館として公開。

キリシタン博物館として公開

大浦天主堂(国宝)を完成させ、、「信徒発見」で知られるベルナール・プティジャン神父(Bernard-Thadée Petitjean)が、明治6年、明治政府の禁教令廃止で浦上村の信徒が釈放されたのを契機に、長崎に司祭養成のためのラテン神学校を設立することを計画。

設計・建築はパリ外国宣教会宣教師のマルク・マリー・ド・ロ神父(Marc Marie de Rotz)で、日本初となる木骨れんが造り。
ド・ロ神父は、建築にも造詣があり、設計監督した建物は極めて堅牢なのが特徴。
大浦天主堂内司祭館、出津教会堂(しつきょうかいどう/長崎市西出津町)などもド・ロ神父の設計で、ド・ロ神父によって描かれたものと見られる当初図面が、構成資産のひとつである出津教会堂から発見されています。

1階に校長室と教室、2階が神父の個室と教室、3階は学生宿舎、地下は食堂として使用されたと推測されている。
講義はすべてラテン語で行なわれたため羅典神学校と通称されました。

現在はカトリック長崎大司教区が所有し、旧長崎大司教館(長崎県県指定有形文化財)とともにキリシタン博物館として公開、「大浦天主堂と26聖人」、「禁教250年」、「信徒発見」、「「キリスト教の伝来と日本の歴史」、「長崎におけるキリスト教の受容と発展」などをテーマに、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産である「大浦天主堂 ~世界の宗教史上に残る劇的な「信徒発見」の舞台~ 」を詳しく紹介しています。
マナーを守って見学を。

大浦天主堂・旧羅典神学校
名称 大浦天主堂・旧羅典神学校/おおうらてんしゅどう・きゅうらてんしんがっこう
所在地 長崎県長崎市南山手町5-3
関連HP 大浦天主堂公式ホームページ
電車・バスで JR長崎駅から正覚寺下行き路面電車で10分、築町で乗り換え、石橋行きで大浦天主堂下下車、徒歩3分
ドライブで 長崎自動車道長崎ICから約3.7km
駐車場 市営松が枝町第2駐車場(94台/有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 大浦天主堂 TEL:095-823-2628/FAX:095-827-5452
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
祈念坂

祈念坂

長崎県長崎市、南山手らしい風景といわれる坂道が、祈念坂(きねんざか)。明治10年より以前に整備された石畳の道で、旧居留地時代の遺構として貴重なもの。町歩きの休憩所として利用される南山手レストハウスと、大浦天主堂( 国宝)の脇を通る

大浦天主堂

幕末の1857(安政4)年に、長崎での踏み絵が廃止され、外国人のための聖堂建立が認められました。大浦天主堂は1864(文久3)年にフランス人・フューレ神父とその志を継いだプチジャン神父によって建立され、別名フランス寺とも呼ばれた教会。現存す

 

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