常楽寺|湖南三山

常楽寺

滋賀県湖南市石部地区にある天台宗の古刹が常楽寺。長寿寺、善水寺とともに湖南三山のひとつ。寺伝によれば、和銅年間(708年〜715年)、元明天皇の勅願で良辨(ろうべん=良弁、東大寺を開山、大仏建立)によって創建されたと伝えられています。紫香楽宮(しがらきのみや、信楽宮)の鬼門封じの寺ともいわれています。

本堂と三重塔は国宝!

延暦年間(782年〜806年)に天台宗に改宗され、その後、阿星山五千坊(あぼしやまごせんぼう)の中心として栄えました。

南北朝時代建立の本堂は、国宝。
秘仏の木造千手観音坐像が安置されています。
本堂横の石段を上ると室町時代築の三重塔(塔高22.8m)があり、こちらも国宝。

源信(げんしん)が描いたと伝わる絹本著色浄土曼荼羅図、絹本著色仏涅槃図、木造釈迦如来坐像、良弁が愛用したという錫杖(しゃくじょう)など、重要文化財も多数収蔵、安置されています。

秋の特別公開(湖南三山同時公開)以外の拝観には予約が必要(閉門時には境内に入ることができません)。

名称 常楽寺|湖南三山/じょうらくじ|こなんさんざん
所在地 滋賀県湖南市西寺6-5-1
関連HP 常楽寺公式ホームページ
電車・バスで JR草津線石部駅からバスで20分、常楽寺下車。または、石部駅からタクシーで10分
ドライブで 名神高速道路栗東ICから約9km
駐車場 30台/無料
問い合わせ TEL:0748-77-3089/FAX:0748-77-2550
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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