紫香楽宮跡(甲賀寺跡)

紫香楽宮跡(甲賀寺跡)

聖武天皇が遷都した紫香楽宮(甲賀宮)の南1kmの地にある古代寺院の跡。当初ここが紫香楽宮跡と推測され、国の史跡「紫香楽宮跡」となりましたが、近年の発掘調査で宮町遺跡が内裏跡だと判明し、内裏野地区は、聖武天皇が盧舎那仏建立を目指した甲賀寺跡(こうかじあと)ではないかと推測されるようになっています。

聖武天皇創建の甲賀寺、後の近江国分寺跡と推測される廃寺跡

紫香楽宮跡(甲賀寺跡)
紫香楽宮跡(甲賀寺跡)

天平15(743年)10月、聖武天皇は紫香楽宮で「大仏造顕の詔」を発し、甲賀寺の建設と大仏造りに着手します。
天平16(744年)11月には甲賀寺で大仏の骨組みとなる体骨柱(中心柱)を建てる儀式が行なわれています。

発掘調査で、中門・金堂・講堂・僧坊が南から一直線に配されるいわゆる東大寺式の伽藍であることが判明。
塔周囲にも回廊(または築地)が巡らされています。

紫香楽宮遷都の際に、盧舎那仏を建立するために総国分寺として創建されたのが甲賀寺ですが、遷都から間もない天平17年(745年)5月11日に平城宮に遷都しているため、大仏は奈良・東大寺に建立されています。
古代寺院の跡は甲賀寺ではなく、甲賀寺を転用した近江国分寺跡だとする説もありますが、近江国分寺の建立を近江国府付近の瀬田廃寺跡に想定する説もあり、定かでありません。

『正倉院文書』天平勝宝3年(751年)の『奴婢見来帳』に「甲賀宮国分寺」と記されていることから、甲賀寺を転用した近江国分寺跡というのが有力になっています。

講堂跡や塔跡などの礎石が残されているほか、金堂跡には聖武天皇を祀る紫香楽宮の小祠が建っています。

紫香楽宮跡(甲賀寺跡)
名称 紫香楽宮跡(甲賀寺跡)/しがらきのみやあと(こうかじあと)
Shigaraki no miya ato(Shigaraki capital),Ruins of Kokaji Temple
所在地 滋賀県甲賀市信楽町宮町
関連HP 甲賀市公式ホームページ
電車・バスで 信楽高原鐵道紫香楽宮跡駅から徒歩40分
ドライブで 新名神高速道路信楽ICから約1.4km
問い合わせ 甲賀市教育委員会 TEL:0748-86-8026/FAX:0748-86-8216
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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紫香楽宮跡(宮町遺跡)

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