島原武家屋敷・篠塚邸

島原武家屋敷・篠塚邸

長崎県島原市下の丁、島原城の西に位置する島原武家屋敷のひとつが篠塚邸。三河国額田郡深溝(愛知県額田郡幸田町深溝=深溝松平氏のルーツ)を祖とする篠塚家。13石2人扶持の下級武士で、明治時代まで11代続き、おもに郡方祐筆(書記)や代官などを務めていました。

郡方祐筆(書記)や代官などを務めた家

島原武家屋敷・篠塚邸

島原へは島原藩深溝松平家2代の松平忠房(まつだいらただふさ)が寛文9年(1669年)、福知山から転封の際に従して島原に。
篠塚家は、代々順右衛門を襲名しています。
愛知県豊川市篠束町が篠塚氏の三河のルーツともいうので、その一帯の出身だったのかもしれません。

屋敷は保存され、一般に公開されています。

島原武家屋敷・篠塚邸
名称 島原武家屋敷・篠塚邸/しまばらぶけやしき・しのづかてい
所在地 長崎県島原市下の丁1994-1
関連HP 島原市公式ホームページ
電車・バスで 島原鉄道島原駅から徒歩10分
ドライブで 長崎自動車道諫早ICから約40km
駐車場 武者屋敷駐車場(15台/無料)
問い合わせ 島原武家屋敷 TEL:0957-63-1087
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
島原武家屋敷・山本邸

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島原武家屋敷通り

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