五島氏庭園・隠殿屋敷

五島氏庭園・隠殿屋敷

長崎県五島市池田町にある幕末に築かれた福江藩(五島藩)の城が福江城(石田城)。二の丸跡にあるのが五島家30代当主・五島盛成(ごとうもりあきら)の隠居所として建てられた隠殿屋敷と、その庭園、五島氏庭園で、大名庭園である五島氏庭園は国の名勝に指定されています。

大名庭園と隠居屋敷が現存

五島氏庭園・隠殿屋敷

五島氏庭園・隠殿屋敷は、城山神社の宮司でもある第35代五島家当主・五島典昭さんの所有。
つまり、福江城(石田城)は、日本で唯一の個人所有の城ということに。

庭園は、30代・五島盛成が三男・盛徳に家督を譲った後、城郭内に隠殿屋敷を建て、その東側に浄土宗の僧・全正(善章)が築いたもの。

五島盛成は、漢詩・和歌・俳句に造詣が深く、別荘で曲水の宴を催すほどの教養人でした。
全正(善章)は、京で舞妓に熱を上げ五島へ流罪となったものの、文化人だったため、五島盛成に気に入られたのです。

庭園が築かれたのは福江城(石田城)二の丸の西南端。
廐舎(きゅうしゃ=馬小屋)や藩士教育所の「育英舘」があった場所に作庭されています。

全正(善章)は、鹿苑寺(金閣寺)の池を模して、中央に心字が池を配し、庭石と築山には福江島のシンボルである鬼岳(おんだけ)の溶岩を使っています。
多くの亜熱帯植物を配しているのも五島ならでは。
五島盛成は亀を好んだので、中島などの随所に亀に似た石を据えています。

文久元年(1861年)築で五島盛成の隠居所となった隠殿屋敷の玄関には、全正の辞世の句が記された屏風が立っています。
二の丸西門・「蹴出門」の桝形を通って左側すぐに隠殿屋敷の平門が配され、そこを通ると玄関書院。
廊下で座敷書院に渡り、さらに庭を鑑賞できる釣殿風の小座敷が築かれています。

隠殿屋敷というものの、五島盛徳が病弱だったため、事実上は五島盛成が実権を握り、明治維新を迎えています。
三方を土堤(土坡)で囲み、玄関部分・平門の石垣などを見てもいざという時の防御策が施されています。

5年間を費やした隠殿屋敷の復元工事も平成28年に終わり、庭園とともに公開されています。

五島氏庭園・隠殿屋敷
入口に配された平門
五島氏庭園・隠殿屋敷
名称 五島氏庭園・隠殿屋敷/ごとうしていえん・いんでんやしき
所在地 長崎県五島市池田町1-7
関連HP 五島市公式ホームページ
電車・バスで 福江港から徒歩10分
ドライブで 福江港から500m
駐車場 8台/無料
問い合わせ 五島氏庭園心字が池管理事務所 TEL:0959-72-3519
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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