荒川赤水門緑地・草刈の碑

荒川赤水門緑地・草刈の碑

東京都北区志茂にある荒川放水路と隅田川(旧河道)とを仕切る水門が、大正13年に完成した旧岩淵水門。旧岩淵水門の上を歩いて渡った中之島に整備された荒川赤水門緑地にあるのが、草刈の碑。昭和13年~昭和19年の間、『全日本草刈選手権』が開催されたことを記念する石碑です。

荒川の堤に数千人を集めた『全日本草刈選手権大会』の記念碑

昭和13年~昭和19年の間、各都道府県の大会を勝ち抜いた強者が(全国で4万人が予選に参加)、赤羽岩淵に終結し、『全日本草刈選手権』を開催していました。
農業は国の根本、草刈りと堆肥は農業の根本だからというのが開催の理由でしたが、戦争の激化で中止され、戦後は開催されていません。

選手全員が同じ鎌を使用し、同じ面積の土地を制限時間1時間で草を刈った量が70点・草刈り後の美しさ30点で採点し、優勝者の刈った量は1時間で400kg。
優勝の賞品は牛1頭でした。

その背景には、戦時下で全国の農村に飼料、肥料が不足し、その増産を図るために大いに野草を利用しようという草刈の奨励がありました。
ただし、科学的というよりは「農民魂」などと精神論を強調するところが、戦時下らしいところ(昭和13年は、国家総動員法」が成立し、木炭自動車が走り出した年です)。

「この日数千の観衆は荒川堤を埋め、遠くは樺太から朝鮮の涯まで全国二万余名の予選々手の中から選抜された八十六名の農村青年は鎌一振に郷土の栄誉をかけ得意の刃さばきで真剣な勝負を続けたが、草刈大会は青年部、梶宏夫君(静岡)、壮年部、佐々木英五郎(宮城)、堆肥大会は前田、藤永組(富山)が優勝して晴の凱歌を挙げた」(『写真週報』129号(昭和15年8月10日)。

草刈りの碑には大きく「農民魂は 先ず草刈から」と刻まれています。

『全日本草刈選手権大会』 由来記

草刈は日本農民の昔ながらの美風で農民魂の訓練であり発露である。
金肥の流行につれて草刈が衰へ始めたので、有畜農業の普及は却って益々草刈の必要を認めたから、草刈奨励の為め有志相図り幾多の曲折を経て、漸く男女青年団農学校壮年団と四組に分ち、全国に亘って町村大会郡大会都道府県大会と選手を選抜し、最後に全日本草刈選手権大会を昭和十三年八月より此の地に前後六箇年開いた。
鎌を競う選手四万余名、熱戦各二時間に亘り両岸に観衆溢れ旗指物なびいて一世の壮観であった。
大東亜戦のためやむなく中止したが、草刈魂を永達に伝ふるため農業国体其他篤志家の寄付を仰ぎ、茲に草刈の碑を建立した。
蓋し農は国の大本草刈、堆肥は土を作る農業の根本だからである。

昭和三十二年十月
全日本草刈選手権大会理事長
横尾堆肥居士撰

荒川赤水門緑地・草刈の碑
名称 荒川赤水門緑地・草刈の碑/あらかわあかすいもんりょくち・くさかりのひ
所在地 東京都北区志茂5-42-6地先
関連HP 北区公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ志茂駅、赤羽岩淵駅から徒歩15分。または、JR赤羽駅から徒歩20分
駐車場 荒川岩淵関緑地駐車場(38台/有料)
問い合わせ 北区道路公園課 TEL:03-3908-9275
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
旧岩淵水門(赤水門)

旧岩淵水門(赤水門)

東京都北区志茂にある荒川放水路と隅田川(旧河道)とを仕切る水門が、旧岩淵水門。大正5年から8年間の歳月をかけて完成した水門は、経済産業省の近代化産業遺産に認定。昭和30年代の改修工事で赤い色に塗りかえられたことから「赤水門」と呼ばれています

荒川赤羽桜堤緑地

荒川赤羽桜堤緑地

東京都北区岩淵町、昭和5年に完成した荒川(荒川放水路)と新河岸川の間に広がる広大な荒川河川敷を利用して築かれた北区の区立公園が、荒川赤羽桜堤緑地。埼玉県川口市と東京都北区を結ぶ新荒川大橋の北区側に位置し、ソメイヨシノ108本が植栽されたプロ

 

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