長崎県佐世保市城間町にある巨大な防空壕が無窮洞(むきゅうどう)。第二次世界大戦中の昭和18年、当時の宮村国民学校(現・宮小学校)の教師と小学生たちが掘削した幅5m、奥行き20m、生徒600人が避難できたという巨大な防空壕で、無窮洞顕彰保存会が管理し、貴重な戦争遺跡として見学することができます。
国民学校の生徒たちが手掘りした巨大防空壕
避難中でも授業、日常生活ができるようにと、石でできた教卓、ローソク立て、水飲み場を備えた教室(幅5m、奥行き19mの主洞部分)、書類室、トイレやかまど、食料倉庫、避難道(らせん階段)、さらには天皇の写真(御真影)を奉ずる御真影部屋まで設けてあり、当時の世相をうかがい知ることができます。
入口は川側で、山へ抜ける非常口は風の通風口にもなっていました。
国民学校4年生以上の高等部の生徒部 (現在の中学生)がツルハシで堀り進み、女子生徒がノミで仕上げ、下級生が土石の排出を担ったといわれ、工事は昭和18年8月~昭和20年8月15日(終戦の日)まで続けられました。
地盤は、凝灰岩なので、かなりの労苦があったと推測できます。
実際に空襲の際に600人の生徒が避難したことがありますが、酸欠状態になったため、農家から唐箕(とうみ)と呼ばれる脱穀した穀物を風選する農具を借り、入口から風を送ったと伝えられています。
「無窮」とは無限、永遠を意味する言葉で、子どもたちの将来を案じて付けた名前だと推測できます。
戦前に佐世保鎮守府、佐世保海軍工廠のあった軍港・佐世保は、アメリカ軍の空爆の対象となり、昭和20年6月28日の佐世保大空襲(市街地は焼け野原になっています)など、大きな被害を受けています。
佐世保駅に近い「とんねる横丁」は、戦時中の防空壕をそのまま生かしてつくられた市場です。
無窮洞は、日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~」の構成資産にもなっています(指定名称は「小首砲台跡・地区司令所跡」)。
無窮洞 | |
名称 | 無窮洞/むきゅうどう |
所在地 | 長崎県佐世保市城間町3-2 |
関連HP | 佐世保観光コンベンション協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR佐世保駅から西肥バス川棚バスセンター行で45分、宮支所入口下車、徒歩3分。または、JRハウステンボス駅から徒歩30分 |
ドライブで | 西九州自動車道佐世保大塔ICから約8.5km |
駐車場 | 5台/無料 |
問い合わせ | 無窮洞顕彰保存会 TEL:0956-59-2003 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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