青年期宮本武蔵像

青年期宮本武蔵像

岡山県美作市宮本、武蔵の里五輪坊の回遊式庭園そばに立つのが青年期宮本武蔵像。2mもの長身の武蔵像は、晩年の自画像を基に、コンピューターグラフィックにより復元したもの。制作は、文化勲章受賞者で彫刻界の巨匠、富永直樹(とみながなおき)。近くには武蔵道場もあり、武蔵の里のシンボル的な存在となっています。

宮本武蔵没後350年に建立

平成7年5月19日、宮本武蔵生誕地のシンボルとして、宮本武蔵没後350年の命日に建立されたもの。
宮本武蔵は、正保2年5月19日(1645年6月13日)に千葉城(現・熊本市)の屋敷で亡くなっているので、ちょうど平成7年が没後350年だったのです。

智頭急行宮本武蔵駅の駅前広場には、武蔵を中心に恋人のお通、 幼なじみの本位田又八の3体の像がありますが、そちらはあどけなく遊ぶ少年期の武蔵。

実は宮本武蔵は播磨(兵庫県)生まれ!?

宮本武蔵は、江戸時代後期の地誌『東作誌』に美作国(岡山県東部)宮本村で生まれたという記述があるため、吉川英治の小説『宮本武蔵』などでは美作市(旧大原町)を宮本武蔵の生誕地としていますが、『五輪書』に「生国播磨の武士新免武蔵藤原玄信」の記載があるほか、養子・伊織が建立した『小倉碑文』にも「播州赤松末流新免武蔵玄信二天居士」と播磨生誕(現・兵庫県高砂市米田町、兵庫県揖保郡太子町宮本)となっています。

智頭急行線に宮本武蔵駅がある旧大原町ですが、明治41年、熊本の「武蔵顕彰会」による調査で岡山県宮本村が生誕地と確認され、旧大原町関係者も古事帳や家系図などによって確認されたと断言していました。
これに対し、兵庫県では、吉川英治の『宮本武蔵』はあくまでフィクションで、史実によれば武蔵は播磨の生まれと主張しています。
歴史的には、播磨生誕説が有力ですが、大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』など多くのテレビドラマ、映画は、吉川英治の『宮本武蔵』を原作とするため、美作国宮本村が出身地に。
つまり、美作市宮本は、吉川英治版『宮本武蔵』の舞台ということに。

青年期宮本武蔵像
名称 青年期宮本武蔵像/せいねんきみやもとむさしぞう
所在地 岡山県美作市宮本94
関連HP 美作市公式ホームページ
電車・バスで 智頭急行宮本武蔵駅から徒歩10分
ドライブで 鳥取自動車道大原ICから約2km
駐車場 武蔵の里駐車場(220台/無料)
問い合わせ 美作市大原総合支所 TEL:0868-78-3111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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