岡山県津山市西新町、旧出雲街道沿いにある津山藩の洋学者・箕作阮甫(みつくりげんぽ)の生家が、箕作阮甫旧宅。蘭学者として初めて幕府直参に取り立てられた、箕作阮甫が寛政11年(1799年)から京に出るまで13年間を過ごした生家です。
箕作阮甫が幼少時代を過ごした家
箕作家(みつくりけ)は阮甫の曾祖父の代から医家となり、阮甫の父・3代目貞固の時代から津山松平家の藩医となり、箕作阮甫も文化13年(1816年)、京に出て竹中文輔から医学を学び、文政2年(1819年)、津山に戻って医者の家系を継いでいます。
文政6年(1823年)、藩主の供で江戸に入り、蘭方医・宇田川玄真(うだがわげんしん/、幕府天文台の要請で蘭書の翻訳などを行なっていました)のもとで洋学の研鑚を重ね、幕府天文台で翻訳の仕事にも従事し、ペリー来航など激動の時代の翻訳方として活躍しています。
嘉永6年(1853)のペリ―来航時には外交文書の翻訳にあたり、ロシアのプチャ―チンの長崎来航の際は、交渉の全権を有した旗本・筒井政憲(つついまさのり)、川路聖謨(かわじとしあきら)に伴って長崎に行き、外交書簡の翻訳に携わっています。
生家の建物は老朽化による損傷が激しく、昭和50年に解体復元工事が施されていますが、国の史跡にもなっている貴重な遺構です。
箕作阮甫は、文久3年(1863)江戸で没していますが、箕作阮甫の旧宅として貴重なため、江戸時代の様子に復元されています。
画像協力/岡山県観光連盟
箕作阮甫旧宅 | |
名称 | 箕作阮甫旧宅/みつくりげんぽきゅうたく |
所在地 | 岡山県津山市西新町6 |
関連HP | 津山市公式観光サイト |
電車・バスで | JR津山駅から中鉄バス日本原行きで8分、またはごんごバス市内循環東回りで9分、天神橋下車、徒歩3分 |
ドライブで | 中国自動車道津山ICから約3.5km |
駐車場 | 2台/無料 |
問い合わせ | 箕作阮甫旧宅 TEL:0868-31-1346 |
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