備中松山城は、大松山・天神の丸・小松山・前山(下太鼓丸)という4つの峰からなる臥牛山山上に建つ山城。本丸は標高430mの小松山に位置し、その最高所に建つのが天守。二重櫓と同様に天和元年〜天和3年(1681年~1683年)の建築で、国の重要文化財。実戦的な二重二階櫓で、日本最小かつ城下との比高最大の現存天守となっています。
日本最小かつ最高所(城下との比高)の現存天守
備中松山城の天守は、現存12天守のうち、唯一の山城の天守です。
当然、城下町との比高では最大の現存天守となり(松本城の天守は標高590mで日本最高所)、天守の高さは11mも、現存天守の中では最も低いもの。
古文書などによると、天守は「三重櫓」と呼ばれていますが、それは外見から。
内部は2階建てなので「二重二階櫓」というコンパクトサイズなのです。
外見的には、1重目の屋根に、西面に千鳥破風(とどりはふ)、北面・東面に入母屋破風(いりもやはふ)、南面に出窓タイプの向唐破風(むこうからはふ)と、破風を散りばめたお洒落なデザインで、写真映えもします。
藩政時代には隣接する八の平櫓から渡櫓(わたりやぐら)を経て天守へと入るのが登城ルートになっていました。
連郭式の天守でしたが、昭和15年の大修理の際に八の平櫓の修築を断念して取り壊し、現在では石垣のみ現存しています(登城の際に八の平櫓石垣にも注目を)。
籠城戦に備えて1階には囲炉裏が切られている
天守1階には、城主の御座所である装束の間(しょうぞくのま)があり、籠城戦の際に藩主一家の居室となる部分。
床下に石を入れて隙間をなくし、忍者でも侵入できないように工夫されています。
さらに1階には長さ1間(180cm)、幅3尺(90cm)の囲炉裏も切られています。
天守に囲炉裏とは珍しい造りですが、籠城時の煮炊き用で普段には使われていません。
毛利氏との戦いの最前線にもなっていて、戦国時代には城の攻防戦は度々起こっていたため、籠城戦への備えが十分にされていたことがわかります。
2階には水谷氏の守護神である羽黒大権現や愛宕権現、三振の宝剣を祀る御社壇(ごしゃだん)も備えられています。
天和3年(1683年)、2代藩主・水谷勝宗(みずのやかつむね)が城の修築にあたって勧請したもので、ここで城と城下の安康を祈りました。
平成7年~9年に解体復元工事が行なわれ、往時の姿を取り戻しています。
手斧削り(ちょうなけづり)と表面はさざ波模様に仕上がる特性がある槍鉋(やりがんな)の痕にも注目です。
備中松山城・天守 | |
名称 | 備中松山城・天守/びっちゅうまつやまじょう・てんしゅ |
所在地 | 岡山県高梁市内山下1 |
関連HP | 高梁市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR備中高梁駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 岡山自動車道賀陽ICから約11kmで城見橋公園駐車場。駐車場からシャトルバスでふいご峠駐車場へ |
駐車場 | 城見橋公園駐車場(110台/無料)、シャトルバスが運行していない日に限り、ふいご峠駐車場(14台)利用可能 |
問い合わせ | 松山城管理事務所 TEL:0866-22-1487 |
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